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水彩スケッチ (2005年 以前)

< 水彩スケッチ への出合い >

 中学生になって「部活動を」という事で、どうせ選ぶならと、私は<美術部>へ入部した。

 運動部がイヤだったわけではないが、入学時の私の身長はクラス内で整列すると、前から2番目(当然、学年で言ってもかなり小さいグループ)という小ささだった。身長同様に体重も少なく、要は実に小さな少年だったのだ。けれど私は充分機敏に動けたし、決して運動神経が悪いわけではない。けれど、自分の持つ体力や小さな体格では体格の優れた先輩達が主導する運動部の練習にはとてもついていけないだろう、といった心配が頭を満たした。そうした訳で、私は文化部を選ぶ事にしたのだった。

 写真部や電気部などでもいいはずだったが、私はもともと絵を描くことが好きだったので、迷いも無く<美術部>を選択したというわけだ。それに美術部に入れば油絵が描けるという夢も、入部への想いに拍車をかけた。

 静物デッサンを続けていって、半年後に念願のキャンバスを買った。イーゼル以外の道具も一式、親に願って自前のものを揃えて貰った。(絵の具のセットは当時は高級品であったが、母親が子供の頃に絵を習っていたという事で、趣味的なものに理解があったのが幸いしたのだった。)そして私は<油絵>に夢中になった。

 文化部なのに「なぜだ!」と思うが、先輩の2年生から「お子様リンチ」と称して、特訓をされた。ある種のおふざけなのだが、椅子を放して並べた上に仰臥して腹筋で耐えて体を直線に保つというものや、電気イスといって椅子にかけた体勢を椅子なしで保つ、などといったものだった。絵を描く基礎体力として、こうしたトレーニングが必須であるならば、「いっそ本格的にトレーニングしよう」と私は友人を誘ってバスケットボール部へ入部した。

 そうしているうちに、いつの間にか部員がいなくなってしまい美術部は廃部されてしまった。

 2年生の3学期の初めでバスケットボール部を辞めて、暫くは自分で絵を描いていたのだが、やはり我慢がならず、3年生になったときに部員を集めて美術部を再生した。一度、廃部されたものを立ち上げなおすのは非常に大変で、顧問の先生をお願いするだけでも難渋した。最後は生徒会で議事に挙げて何とか復活させる事ができたのだった。苦労をして立ち上げた大きな理由は、やはり、私は絵を描く事が好きだったと気が付いたからだ。

 高校生活はバドミントンに夢中だったので美術部とは無縁だったが、暇を見て絵は描いていた。美術の先生に頼み込んで家で描いた油絵(静物画)を文化祭で美術部員達の作品と共に出品させてもらったり、その程度の取り組みは続けていた。

 それ以来油絵は描いていないが、それは写真を撮る事に夢中になって、ほとんど絵を描かなくなっていたからだ。

 それが、ふとしたきっかけで水彩絵の具でスケッチをしてみたら、何ともいえず清々しい気分に浸れて、それ以来、スケッチを続けている。

 再会は、はがき大のスケッチブックで描く、水彩の小さなものから始まった。

榛名湖の様子   ペンでのスケッチと水彩

榛名湖
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榛名富士を望む

< 絵手紙 >

 客先へ出掛けての帰りに、画材屋さんで葉書大のスケッチ・ブックを見つけた。

 その出張の際に、なんで画材屋へ立ち寄ったのか今では記憶に無いが、そこで目にした小さなスケッチ・ブックに目を奪われた。この大きさならば、どこかに出かけたときなどでも苦にならずにスケッチが出来るのでは、と思ったのだ。

 いまでは、「絵手紙」はブームであり、数え切れないほど多くの用紙が出ているが、20年ほど前には、それはまだ物珍しいものだった。そもそも「絵手紙」という言葉もカルチャーセンターでの教室も無かった頃だ。

 携帯用のごく小さなスケッチ・ブックは買ったが、絵の具は携帯用を持っておらず、ホーム・センターで売っていたパレット状の12色のもので暫く済ましていた。

 前橋へ帰省した折に榛名湖に出かけてスケッチしたり、金沢に旅行に行く際に持って行ったり、と暫くは旅の際には必ずこの小さなスケッチ・ブックを携帯していた。

榛名湖畔
榛名湖畔


記憶がはっきりしない。

一連の榛名湖周辺のスケッチは、確か、18・9年ほど前(1995年前後)に描いたものだと思う。


榛名湖にドライブに出掛けて、湖畔でスケッチしたもので、埼玉に移住してまだ数年という頃だったと思う。



始めに鉛筆でデッサンして、その後、輪郭をペンで描く。そして鉛筆の線を消して水彩絵の具で着彩する、というものだ。


この手法、思えば中学生の美術部時代にマスターしたもの。
先輩直伝のものである。


たかだか葉書サイズなのに、この技法であると仕上がるまでに時間が掛かる。確か1時間ほど掛かったように思う。
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< 兼六園 >

 金沢へ旅行へ行った。そのときに園内を回り、東屋があってその佇まいが良い雰囲気だったので、スケッチしたもの。

 記録が残っていないので、良く判らないが、確かに金沢だとすれば、それは15年ほど前(1996年)の事になる。先の榛名湖畔でのスケッチと手法が同じなので、まだ、同年代には違いない。


金沢;兼六園内
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渓流が何処だったのか、思い出してみた。
「吾妻渓谷(あがつま けいこく)」は、渋川から水上・草津へと向う道沿いにある。
国道であり、山間にしては交通量が多い。渓流脇の道は狭く、カーブが連続する。眼下には勢いよく渓流が流れるが、場所によっては遊歩道が用意されていて、渓流脇まで降りる事ができる。
これは、そうして道から崖下に降りて、崖状の中断にあった遊歩道の途中から、渓流をスケッチしたものだ。

草津に旅行に行った折だと思う。

・・13年ほど前になろうか。(1998年)

三浦海岸だろうと思うが、実はハッキリしていない。

こちらはスケッチだけで、着彩がない。

9年ほど前か?(2002年)
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