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2008.01.03
三日とろろ

カメラ;
 Pentax K10D
 Ricoh CAPLIO−GX100 24mm-72mmF2.4

レンズ;
 Pentax DA50−200mm F4−5.6 ED
 Pentax DA70mm F2.4 Limited
 Pentax FA43mm F1.9 Limited

  (画像添付時に約30%に圧縮)


 新しい年が来た。

 今年は、元旦までは「さいたま」で過ごし2日に帰省したのであるが、朝からよい天気だった。

 さいたま市から前橋市へ向かうには、国号17号線の「新大宮バイパス」を進み、そのまま深谷から「上武国道(同じ17号のバイパス)」へと向かうのが一般道での最短コースだ。利根川に掛かる長い「上武大橋」を渡ると埼玉との県境で、その先からは群馬県となるのだ。

赤城山(あかぎ)
榛名山(はるなさん)

 橋の周辺は大きな建物も無く視界が開けて、あたりに景色を遮るものが無くなる。利根川の河原と言っても大きな堤防(スーパー堤防のように広い河川敷)の外であったが、そこから見える山の景色を写真に収めてみた。

 北側にそびえる赤城山(あかぎやま)や北西の榛名山(はるなさん)、西に遠く見える浅間山(あさまやま)、南西の平らな尾根が特徴ある荒船山(あらふねやま)などだ。

 上毛三山(じょうもう さんざん)として親しまれているのが、赤城、榛名、妙義(みょうぎ)。妙義は写真の荒船山の続きで軽井沢の手前になる。群馬県で広く楽しまれている「上毛かるた」でも歌われている。
  「の」 登る榛名のロープーウェイ   「す」 裾野は長し 赤城山   「も」 もみじに映える妙義山
  ほかには 「あ」 浅間のいたずら 鬼の押し出し

*<上毛> ;「じょうもう」は群馬の古名の上毛の国「かみつけのくに」から

浅間山(あさまやま)
荒船山(あらふねやま)
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 新年の挨拶で、家人の実家の伊勢崎市へ行ったが、旧市街の商店は大分閉店していた。

 大規模なショッピングモールが郊外にある。そこは、ホームセンター、子供服、メガネ、電気店、カー用品店、アウトドア・スポーツ用品店、生活雑貨、シネコン、幾つかのファミレスやレストランなど、数ブロックに渡ってあらゆる大規模店が続き、一周すればほぼすべての生活用品が揃ってしまう。市街地の周辺にはそのようなモールは別格としても、各所に大型駐車場を備えた大型店舗が多い。そのため、旧態依然とした商店街の小さな個人商店は生き残れない。シャッターが半分以上閉まっている。

 郊外の工場や周辺の工業団地などでは海外からの労働者の流入が激しく、多くの外国人労働者を見かける。そうした人たちを相手にした店を郊外だけでなく市の中心部でも多く見かけるようになってきた。市街地の閉められた店に変わって、ポルトガル語の看板が何軒かに出ている。群馬県では太田や大泉などが中南米系の外国人の比率が高くて全国的に有名だが、それと同様に伊勢崎もブラジル系の人たちが多いのだ。

 商店街を散歩して一際目を引いた(市街地のはずれに位置するこの店だけ、駐車場が満車であった)のはブラジルの商品を扱っているスーパーであった。

ブラジル物産スーパー
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蝋梅 蝋梅

 伊勢崎の街を歩いていて、住宅街で見かけたのは、庭先に植えられた蝋梅(ろうばい)の花だ。

 蝋梅は、梅の一種で年明けの頃に咲く。だから、福寿草と同じく、一年の最初に撮影する花だ。

 蝋細工のような、華やかな黄色の薄い花弁が光を通して、雰囲気には儚さがある。季節感が溢れる、私の好きな花木だ。淡い花弁の様子が伝わればよいのだが・・・。

蝋梅

蝋梅 蝋梅
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日枝神社(前橋) 日枝神社の拝殿と本殿

 写真で紹介している「日枝神社(ひえ じんじゃ)」は、前橋にある実家のすぐ南にある古い神社だ。

 ちなみに、我が家はその神社の氏子だ。(別に私の家には「氏神」があり、その神の名である「神明」を呼び名―屋号のようなもの―としている。)

神社の案内版では、
 「貞観二年(清和天皇の御字858年)嵯峨天皇の皇子、二品親王忠長郷が上野国大守に任ぜられたのを祝して九ヶ村の郡民相議り、社殿を造り近江国に鎮座の日吉山王大権現の神を遷祀して産土の神と仰ぎ安心立命と天下泰平五穀豊穣を祈ったのが本神社の興りだ。建久七年(1196年)には源頼朝が参詣して三百余町歩を寄進、国家安全の祈祷をしたと言われる。」

と記されている、歴史の古い神社だ。


 お参りに行ったのは3日であるが、もうお守りやお札は売っていなかった。

 秋の祭礼は非常に賑やかで屋台などもでるし、確か数年前までは松の内はお守りやお札などを売っていたいたように思うのだが・・・。

日枝神社の拝殿と本殿
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 さて、正月3日。

 この日は、「三日とろろ」を食べて御節料理やお酒で疲れた胃を休めるのが、風習だ。これには風邪除けの意味合いがあるらしい。

 すぐ後には「七草粥(2007.01.07  「七草粥」)」があり、やはり胃を休めるのであるが、七草の場合には無病息災と一年の豊穣を願う意味がある。「とろろ」には、そのような祝祭的な意味は少なく、純粋に疲れた胃を休める意味なのだと思うが、どうだろうか。

 2日に伊勢崎、前橋と帰省し、急ぎ足なのだが3日の午後には「さいたま」へ戻ることにした。

 折角のドライブなので、帰る途中でもお参りをすることにした。帰り道にある新田(にった;伊勢崎市と太田市の中間で埼玉との県境)にある「世良田(せらだ)東照宮」だ。

三日とろろ
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世良田、長楽寺 世良田、長楽寺

 「世良田(せらだ)」は、新田(にった)の古い町。

 「新田の荘」は、源氏の棟梁「新田義貞(にった よしさだ)」の発祥地で足利(室町幕府の足利家発祥の地)からは南に位置(より鎌倉に近い)している。ちなみに足利の地を地盤とする足利氏は新田氏との戦いに勝利し、源氏の棟梁と公認されている。ただし、いまだに新田周辺の人には、「源氏の本流はこちら」という感覚がある。

 徳川の出自を源氏とするために「世良田」の地が徳川家発祥の地とされている。全国的に考えると、この土地はそのことで有名だ。足利幕府を開いた足利尊氏(あしかが たかうじ)は「源氏」、足利幕府を滅ぼした織田信長は「平氏」。秀吉はどちらでもないので貴族である藤原氏となり関白となった。そのため、武家政権としての<幕府>は開けなかった。徳川家康が幕府を開いて政治を行うためには「源・平、どちらかの氏」の出自という必要があった。

世良田、東照宮 世良田、東照宮
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世良田、東照宮 世良田、東照宮

 この地には、東照宮が祭られていて、祭礼では多くの参拝客で賑わうが、年始もかなりの人出となる。

 境内は多くの参拝者で賑わっていた。お守りやお札だけでなく、絵馬や破魔矢などの縁起物も売られている。それだけではなく、新年の厄除けのお払いも行われていて一層賑わっていた。

 関東で「厄除け」といえば、「成田」や「川崎」、そして「佐野」であろう。北関東であるこのあたりでは「佐野厄除け大師」が有名だが、この神社でお祓いをお願いする人も多いらしい。

世良田、東照宮 世良田、東照宮
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世良田、東照宮 世良田、東照宮

 拝殿の横には接待所が用意されていて、甘酒が振舞われていた。

 「無病息災」との看板も出ていて縁起物であるので、勿論頂いた。もともと私は渋滞での運転が好きではないので、早々に家人に交代してもらっていた。だから安心して飲むことが出来たが、時節柄、「運転者はご遠慮下さい」の案内がしっかりと出ていた。

 寒空には美味しそうな「おでん」もあったようだが、すでに売り切れていて「うどん」だけになっていた。少し残念だが、仕方があるまい。

 寒い外気の中で飲む暖かい甘酒は格別であり、本当に有難い振る舞いであった。

世良田、東照宮 世良田、東照宮
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世良田、東照宮 子供お御籤は、別の種類もあって

「どらえもん おみくじ」は
売り切れ状態であった。