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2009.10.12
鴨川 「水辺の里」 の秋 (天高く 馬肥ゆる 食欲の秋)

アクセス;
 JR高崎線 大宮駅

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm

 (画像添付時に約70%程度に圧縮)



 「お昼は外で肉を焼いて食べよう」、それが昼食時間を間際にした子供の提案 だった。

 私達は時々、山用の携帯ガスバーナーを持ち出して外で食事をする。それは公園でのお花見の時といった場合が多い。 ここで言う「花見」の花というのは、いわゆる「桜花」だけを指さすのではなく、実は様々な花を対象としたものだ。

 「梅」、「桜」、「紫陽花」、「コスモス」などの季節の花がそれで、花咲く時期に公園や川岸などへ見に出かける。車での場合もあれば今回のように自転車での場合もある。 同じ花でも野草の場合、「スミレ」や「カタクリ」や「ミズバショウ」などを観に行く場合には、花見に行こうと言うことは少ない。

肉を焼く まずは手始めに「タン」から焼こうか。
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 「オート・キャンプ」が流行ったころに鉄板(実際には厚手のアルミ板)やガスのツー・バーナー、折りたたみ式のテーブルや椅子などを買ったりしたが、めっきりと出番が少ない。

 ラバロック(溶岩石)をガスで熱して、遠赤外線で食材を炙り焼きにするグリル(「キャンピング・ガス」の製品)も持っていた。これで鶏肉を焼くとまさに絶品で、大変美味しかった。落ちた油が石に染みてそれが盛大に煙を出すのが唯一の難点で、楽しむ場所の選定を慎重にしなければいけないものだった。

 そんな重装備の道具達の出番が減ったのは、「キャンプ」や「デイ・キャンプ」そのものを目的にした外出が少なくなったからだろう。

 外で作る鉄板料理は主要な楽しみだけれど、外出の主役では無くなって来た。 若い頃ほど旺盛な食欲がわかなくなって来た事も、装備した道具類の出番が減った一因だろうか。

肉を焼く

 しかし、子供としては楽しんだ料理の味が忘れられないらしく、こうして時々「外で何か作って食べよう」と提案してくる。

 食材をあらかじめ準備して出掛ける場合もあるが、近所のショッピングモールや途中のスーパーなどであれこれ買い込んでから目的地の川原や林へ向かう事が多い。

 一昔前、「外で肉を焼く (バーベキューや焼肉、仕上げは焼きそば)」となると仕込みは前日からになり、肉を「タレ」に漬け込んだり、野菜を切ったりしたものだ。

 それが今や、肉は様々なタレで味付けられた状態でパックされて売っているし、野菜炒めの具材にしてもキャベツやにんじんなどがカットされモヤシやキクラゲなどと共にパックされている。実にお手軽で、もっぱらこうしたものを買って準備に変える。だから手間がまるで掛からない。

 こうした訳で、思い立ってから「じゃ外で作って食べるか」という事が出来る 。山用の小型の携帯バーナーとコッヘル、やはり小さな携帯用のフライパン、それに携帯用の箸と小さな容器に入った塩コショウなどを持ち出せば、もうそれで「準備完了」になってしまう。手軽に野外で食事できる「仕込み済みの食材」が豊富にあって至極便利なもので、その便利さを充分に享受しているという訳だ。
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 こうした場合の外出では「食べる事」が主になって、そこでの「遊び」が従になる。花見、普段の街歩きや散歩、ポタリングなどとは違った取り組みになるわけだ。

 子供としては、こうした気楽でのんびりモードな所が好きなのかも知れない。物を焼くという行為はそれ自体が楽しいもので、しかも家とは違って自分も思う存分手を出せる。そうした外での調理が楽しくないはずが無い。しかも外で食べると同じ食材でもこれがまた美味しいのだ。

 そうした色々なプラス要素が相まって、「今日は外で」となるのだろう。

「タン」の次は「ハツ」 「タン」の次は「ハツ」。

居酒屋の焼き鳥(焼きトン)
のようなメニューになるのは、
仕方が無い。

 先ず手始めは「タン」。それから次に「ハツ」。どちらも焼き鳥(焼きトン)での好物だ。

 肉は「塩コショウ」で味付けをした。最初は私が振りかけて焼いていたが、何回目かで子供がとうとう手にとって揉み込み始めた。「手塩にかけ」て味付けするのだそうだ。

 どちらかと言うと「味付ける」という行為よりも、最近覚えた言葉を使えることを見せたかったようだ。

 焼き肉が一段落したところでラーメンを煮込む。川原のバラス道で前カゴ(子供の自転車に入れていた)の金具に当たって、アルミに穴が開いてしまった。そのため汁が漏れてしまいコッヘルで調理した。そこに魚介類をいれてもいいかと思ったが、「海老」も同じく殻の周りに塩を付けて焼くことにした。

 最後の大物、「鶏肉のソテー」をどうしよう。随分肉を食べたので満腹に近く、買った鶏肉すべては食べられそうに無い。相談したら、半分だけ焼いて食べよう、という事になったが、生憎、ナイフを忘れてしまった。アルミ缶を半分に切ってナイフの代わりにしようとも考えたが、結局一枚焼いてしまうことにした。(パックには大振りのモモ肉が二枚入っていた。) 皮側だけに塩をつけて、焦がすように焼いたが、盛大に煙が立ち上って、なんだか雰囲気が出て来た。

 「前の、さいころステーキは大変だったよね」と鳥から出る油をみて言い始めた。以前のことを思い出したらしい。この前外で食べたのは「塩だれ漬けの鶏肉」だったので、さいころステーキはさらにその前、半年以上前の、あれは確か「梅見」の頃の事だ。
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海老も焼こう ラーメンを作って、さらに海老も焼く。

勿論、肉(「ハツ」)も継続だ。

 「鯛のお頭」が海老の横で売っていたので買ってみた。これを焼いてから煮て、すまし汁を造ったら美味しかろうと思ったのだ。

 鶏肉を途中で火から降ろして、最後の鯛を焼いた。「鳥皮魚身」で、魚は身からだろうが頭の場合はどうするのだろう。良く判らなかったが、大方焼けたところでコッヘルに水を入れて煮込む事にした。ひと煮立ちさせてから、鶏肉と入れ替えた。

 厚い鶏肉なので、焼くのに時間が掛かる。暫く煙を我慢して焼いていたら、ガスが終わってしまった。かろうじて焼きあがったが、実に危ないところだった。


 さて、鯛のすまし汁だ。

 その汁は漉しもせずにそのまま取り分けたので鯛の鱗が盛大に入ってしまっている状態だった。しかも、味もなんだかぼんやりしている。子供が一口飲んでからうーんと唸って醤油を少し入れた。その機転のおかげでやっと飲める状態になった。

 口に入った硬い鱗数枚を出さなければならず、二人そろってひと苦労したが、今日のこうした出来事も以前の事のように印象深く覚えているだろうか。
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 すっかり食材を食べつくして、公園の草原へ行って寝転ぶ事にした。「食べて直ぐ横になると牛になる」などと昔は戒められたが、満腹の後にのんびりと横になる、それもいいと思った。

 公園へ行ってみると、先日、紙ヒコーキを飛ばしに来て、引っかかって取るのに苦労した樹が切り倒されているのが目に付いた。枝に掛かったヒコーキを取ろうと子供が果敢に木登りしたもので、私が一抱えするほどの太い幹を持った木だった。

 「あれ、木がなくなっている」という感想は私も同様だが、せっかくの背の高 い木をなぜ切り払ってしまったのだろう。

 疑問に思ったので少し考えてみた。切ってしまったのは、少し前の台風(強風が吹いたあの「18号」)で上部の枝かあるいは幹が折れ、その為に処理したといったところだろうか。

 そういえば、何年か前の台風で増水した荒川の河川敷施設(サッカーグラン ドや野球グランド)が冠水し、さらに下流の川口あたりでは自動車教習所などが水没して大変だった事があった。

 今回の台風は「風雨」はそれほどではなかったが、吹き荒れた強風の影響で首都圏の電車は軒並みストップした。私はなんとか通勤できたが、それでも新都心から新宿まで三時間近くも掛かってしまった。ちなみに千葉からの通勤者が会社へ来たのは午後になってからだ。

 ここらあたりは関東平野で、その平坦さの恩恵をポタリングなどでは享受しているが、雨にはめっぽう弱く、直ぐに河川が増水し街や道路が冠水する。周辺の交通網はそんな雨や風の影響を受けやすい。

 古木のように立派に見えても、公園を作ったときに移植したのだろうから、自然に生えている状態とは文字通り「根本」的に違うのだろう。 公園は川筋に近く、弱まることが無いだろう強風が容赦なく吹きすぎる。いくら自然に見えていても、その天然自然の試練に木々は耐えられなかったのだろう。
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草原で横になる

 いまでは切り株に変わってしまった木の横の草原で横になって、そんな事を考えた。


 見上げた青空は秋晴れで、高いところに薄い雲が浮かんでいた。

 横を見ると、ペットボトルを枕にして、子供がのんびりしていた。おっと言ったら、ニンマリと笑って「子供の発想は無限大だよ」と言われてしまった。
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