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2006.05.12
善光寺 詣で

アクセス;
 JR線―長野駅
行程;
 長野駅〜権堂〜善光寺門前
時間;
 〜善光寺門前30分

カメラ;
 NIKON COOLPIX S3

 (画像添付時に約25%に圧縮)


 長野へ行った。

 長野県へ観光で行く機会は多く、八ヶ岳、白樺湖、霧ヶ峰、佐久、小諸、など主に北信濃を訪れている。菅平などはもっぱらスキーで、まあ、春の小諸(桜)から始まり、夏の霧ヶ峰(見事に咲くニッコウキスゲが楽しい)、秋の佐久(新蕎麦が目当て)と、季節を問わずお世話になっている。

 だから、長野県は私にとっては身近な場所になる。菅平から須坂へ抜け、川中島や海津城のある松代、さらにその先の小布施(おぶせ)や信州中野などを車で走っていると、まるでそこが故郷のような気分になる。

門前町

街中で見かけた、古いお堂

ふるいお堂

ほどほどの生活感を残して整備された門前町
 門前町

 町のたたずまいがなんともいえず、
 落ち着いている。
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蔵作り

道脇には、多くの蔵が保存されている。 土蔵つくりの商店
屋根の連なりが浮世絵のようだ

 都市景観条例でもあり
 建築や外観が規制されているのだろうか?

 道に面したマンションの1・2階まで
 蔵造りの様子だ。

 こうした関わりの長野県であるが、長野市中心部は、思い出してみるともう20年ぶりの再訪であった。

 今回は仕事での訪問あり、そのため長い時間は無理だが30分程は調整をすることができた。その空き時間を利用して善光寺をお参りした。

 さすが善光寺(http://www.zenkoji.jp/index.html)で、朝の8時というのに沢山の人出で賑わっている。

xxx講の人達―いまの世でも「講(こう)」は存在するらしく、先達とおぼしき人がxx講と書かれた揃いの襷がけ集団を引率し、宿坊の前で佇んでなにやら説している―も多かったが、サラリーマンの姿も参拝客の半数近くを占めていた。

 察するに、ご同輩諸兄も、なんとか仕事を調整して、お参りしているに違いない。
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蔵作りの様子

これは、町の郵便局だ。
郵便局も浮いていない

蔵作りでは無いけれど、趣のあるつくりだ

一度、食事がしてみたくなる
宿坊
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善光寺

この寺の山門は、<三門>と書くらしい。

三界(地上・地下・天上? 前世・現世・来世?)の結界か?
善光寺の三門

 本当は参道の様子や仏殿などをスケッチに残したかったが、時間不足を理由に、気になる風景を次々にスナップした。

  写真に収めておいて帰宅後にスケッチを起こす事にしたのであるが、結局いつもと同じで、克明な写真と印象を取り出して絵に起こす作業とのズレがあり、違和感が拭えない。写真に撮るときには絵のことまで考えてシャッターを切っても、写真から絵にすることが出来た事がない。

  善光寺への参道は大通りで、街路樹が美しく、木々の間にきれいな花がかざられている。古い店舗のたたずまいと調和して、朝日のなかで実にすがすがしい風景だ。この地区は条例で景観保護が定められているのだろうか、参道に面したマンションの2階までの店舗の部分までもが違和感のない蔵造り風であり、外観が統一されている。

 通り全域の統一された調和は見る者の心を充分に和ませる。全体から生み出される揺ぎ無い安定感は、替えがたい安心をもたらすのに違いない。そこに住まう人々の故郷への誇りの表れなのであろう。

善光寺

三門から奥に向かって進むと、
数々の分院と宿坊が続く。
分院というか宿坊というか
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善光寺 仁王門
仁王門
      
   六地蔵

  
善光寺 六地蔵

善光寺

別院?となる「大勧進」
大勧進
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 この通りの持つ落ち着きは、電柱の無い空間のためもあるのだと思う。

  電力の供給は急務であったのだろうが、少なくとも戦後の復興時にリセットして考えるべきだったろう。あるいは木製から鉄筋コンクリート製に切り替えた昭和40年代の時期に見直すべきだった。

 あの空間を無残に覆って区切る柱と線に関しては、東京の下町などでは趣ととる向きもあるようだが、私はやはり不要なものだと思っている。景観の問題は大きいのだがそれだけではない。狭い道幅の道路などで歩道を塞ぐ電柱の存在は、通学や歩行上の安全面から考えても邪魔なものだ。電柱上のトランスは落雷を誘導するし、震災級の地震などで倒壊したり架線が切れて落下したりする可能性がある。電話などの通信系と電気は共同溝として路面へ埋設したほうが有効だと思う。

 片田舎に至るまでの国内全域の道路は毎年掘りかえしているのであるから、埋設を考える機会はいくらもあると思うのだが・・・。

善光寺

武田と上杉の川中島の戦いは、
この寺の檀家や門徒の争奪戦でもあったに違いない。

善光寺、本堂

  荘厳

 内陣も華麗だ。

 撮影時、感度補正をして
 低速シャッターを切っている。
 本当は、とても写真には 撮れぬくらいに真っ暗だ。