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2006.11.23
旅にしあれば・・・ (台湾)
公式旅程;
11月23日より 3泊4日
一日目― 成田発13:30 日本アジア航空 台北着16:25(時差−1H) ホテル移動後自由
二日目― 午前中 台北市内観光 13:00以降自由
三日目― 終日自由
四日目― 台北発15:00 日本アジア航空 成田着18:55(時差+1H)
カメラ;
RICOH
GR−D
(画像添付時に約20%に圧縮)
PENTAX
Ist−D
レンズ;
PENTAX
DA18−55mm F3.5−5.6 AL
PENTAX A50mm F2.8 マクロ
TAMRON
SP90mm F2.8 マクロ
一脚;
ベルボン ULTRA Stick50
会社の5周年ごとの記念行事で、近隣の外国旅行へ行っている。(今回は創業35周年)
シンガポール、ハワイ、グァムと南のリゾート・アイランドが続いたので、今回は事前にアンケートで希望投票が行われた。結果としては候補に上がっていた韓国ではなく、やはり南の島の台湾に決定した。
旅程に書いたが、拘束されるのは2日目の午前中とその夜開かれる記念パーティだけで、あとはすべて自分で工夫して、思い通りの旅に仕立てる事が可能だ。
(有難いのは、旅費・宿泊費・朝食代が掛からず、自分の愉しみのためだけに予算すべてを使える点だ)
成田の第二ターミナル
家人たちは都市モノレールを制覇したが、これは経験なし
(出発が3時間遅れ、初日の予定はすべてNG)
台北空港の様子
今回の旅行に関しても、私なりに楽しもうと、以下の企画を準備した。
予定したプラン;
一日目― 印鑑注文、夜市散策
二日目― 印鑑引取り、烏龍茶と茶器購入、自転車・アウトドア用品購入、飲茶を楽しむ、夜市散策
三日目― 入手した自転車を分解し、MRT(一部地下鉄の都市鉄道交通網)にて輪行
(淡水;タンスイ―河口の観光都市、士林;シリン―故宮博物館への拠点都市、夜市で有名)
四日目― ホテル周辺の公園にて太極拳の見物やスケッチ、お土産などの買い物
旅の中での鉄の掟;
・ 日本食を食べてはいけない⇒なるべく現地の料理(高級料理ではなく普通のもの)を地元流に楽しむ。
・ スケッチを楽しむ(いつもの小さな水彩セット持参)⇒地元の人と触れ合うチャンスが生まれる。
この掟を旨にして、よく歩いて撮った写真は、本編とは別にスライドショーにしてみた。写真のローディングに時間が掛かるので、リンクをクリックしたあと、少し待ってから操作して頂きたい。
1.旅の記憶;台湾の町並み(スナップ)
2.食事したもの(いや、よく食べた)
3.歴史的建造物(レンガ作りの日本統治時代の遺構など)
4.お土産や目的の買い物(調査しておいたおたのしみのものなど)
5.台湾のスケッチ
(写真・スケッチ の ページ 「20061124;台湾のスケッチ」へ移動)
台北市内の夜景
市街地の足は、スクータ
夕方ホテル着の予定が飛行機のトラブルですっかり夜となってしまった。
このスクータの渦は別に暴走族ではなく、仕事帰りの人たち(主に若者)だ。
<初日 歩行距離 16,227歩 10.5Km>
出発便の3時間の遅れで、予定していた行動が無理となったので、夜食を調達にホテル周辺を歩いてみた。
台北市だけの特徴であって台湾全体ではないのかも知れないが、ずいぶん夜の遅い街だ。到着日は平日で、夜の10時過ぎなのに人通りがかなりある。と言うことは、治安がよくて安心して出歩けるということだ。(人通りが多いのは、日中の気温が高く、夕涼みといった意味も多分にあるのだろうが・・・)
日本でおなじみのコンビ二も数多く、ちょっと何か軽食を、とかナイトキャップなどの入手(ナイトキャップというにはすこし変だが、置いてあるアルコールは主にビール)には困らない。なかなか楽しい旅が出来そうだ。
<エピソード1;台湾の香り>
事前に調べた雑誌で紹介されていた
煮玉子
(「台湾にいったら是非食べるべし」、と絶賛されていた)と大好きな
ビールのハイネケン(安さにご機嫌)をコンビニで買って、ホテルへ戻り、明日からの旅の予定の組み直しだ。
しばらくして、お腹が空いたのでホテルから少し歩いて屋台を物色してみた。11時を過ぎているのにまだ人通りが多い。地元の人たちが並んでいる屋台で<海鮮なべ>を持ち帰った。屋台といっても日本のおでんやさんや夜鳴きラーメンなどの屋台とはだいぶ違い 奥の空間にテーブルと椅子があり、何人もの人が食事をしている。
コンビニで買った煮玉子の香り(八角)で参ったが、都合よくこの屋台は韓国風だ。量が多くて大変だったが、辛さは抜群(日本人でも食べられる)で美味しく食べた。(中身をうどんのような麺にしてもらったのに、さらにご飯をおまけにつけてもらった。せっかくのご飯だったが、玉子と同じ香りでちょっと閉口した)
台北市内の様子
道路は、車優先のために広く、車線数も多い。
道路の命名が日本と違い、すこぶる合理的だ。
郊外へ向かうフリーウェイは文字通り無料。
<2日目;歩行距離 23,792歩 15.4Km>
2日目は拘束日だ。午前中の市内観光と夜開かれる創立記念パーティはこの旅行での公式行事だ。この間の自由行動はできず、公式行事なので必ず参加しなければならない。
市内観光はチャーターバスでの移動で、土地勘をつけておくのと主要道路や主な町の様子を把握するには打って付けだ。さらに、バスでの移動は、Netで検索しても見つからなかった自転車のショップを見つけることが出来るかも知れないと期待される。
忠烈祠(ちゅうれつし;台湾における靖国神社)、中正記念堂(「ちゅうせい」とは蒋介石の別号)、総統府(日本植民地時代の台湾総督府をそのまま利用)、龍山寺(台北最古の道教寺廟)、行天宮(そろばん始祖が祭られている;神社)、国立大学や国立病院、行政府、などを一部は車窓からではあったが見学した。多くのスポットのうちの忠烈祠と中正記念堂は、下車して2・30分ほどの自由時間があったので、いつもの水彩道具で急いで特徴のある建物をスケッチした。
昼食は、雑居ビル内にあるよく分からないレストラン(団体観光客専門の貸切のレストラン;私たちの集団は160名程度)へ行って台湾の名物とガイド氏が説明したしゃぶしゃぶ・石焼料理というのを食べた。1卓が12名ほどで石鍋の煮込み料理を囲んだ。
― そこで振舞われた料理は、残念ながら事前に説明された「しゃぶしゃぶ」でも「焼き物」でもなかった ―
その後、DFS(免税店)に寄ったが、ここからなら移動に便利なので、希望して現地解散とした。
さて、まずは昨晩のロスで出来なかった印鑑の注文だ。事前に調べた「
大信義堂
」を目指して永康街(えいこうがい)へ向かおう。そして、自転車屋を探しながら歩き、車窓からの見学でスケッチできなかった行政府に行って母校の記念館に似た感じの趣のあるレンガの建物をスケッチする。
<エピソード2;印鑑を作る>
DFSは南京東路一段(市中央のメインストリートの東側で道路名は南京路、その中心側の主要道を意味する)にあり、ここから台北駅へ向かう中山北路を南に向かっていって、中山北路が中山南路と名前を変えてからもさらに進み、中正記念堂まで戻る。記念堂の大きな公園を東へ曲がり、信義路に入ってしばらく行けば、そこが目指す永康街だ。
印鑑の注文作成が出来る大信義堂を探し当てたが、街区自体を移動中(再開発のためブロック全体を再建中)で、店舗も移動していた。移転先の仮店舗まで行ってみたが、どうもいまひとつ雰囲気がしっくりと来ないので別の印鑑店を探すことにした。
この永康街では、やはり事前に調べた「
興華名茶
」で烏龍茶(台湾茶)と茶器を購入することがもう一つの大きな目的であった。が、こちらは残念ながら店舗を見つけることが出来なかった。
実は、購入しようとしていた
茶器
を、先のDFSで掘り出し物を見つけて買っていたので、さほど落ち込むことは無かった。(すでに持っていた茶壷と茶海と竹製茶盤のセットと同じメーカの茶杯のセットが手に入ったのだ)
永康街を探検していると永興公園前の道(永康街の南北中心路;牛肉ラーメンで有名)をそのまま行き、その通り筋と交差する大通りの<信義路二段>を渡ったところで感じのよい印鑑店が見つかり、この店で印鑑をお願いした。「牛角の赤」(象牙のような白い角製)を勧められたが予算が合わず、15mmの黒(直径15mmの水牛の角)でお願いした。(英語は全然通じないので、やり取りのすべては、好きだった漢文の授業を思い出しながらの筆談であった。)
永康街の様子
注文した印鑑店
<エピソード3;熱気に包まれる夜市>
創立記念のパーティーが終わった後に、夜市へ出かけた。
饒河街観光夜市
だ。
ホテルからすこし遠い(MRTで乗換えを含めて5駅先)が、台湾のタクシーは驚くほど安く、わずかに110元(440円)であった。恐るべき匂いと混雑に、慣れるのに少し時間と忍耐力が必要だったが、いや、すごいところだった。
街全体が休日の浅草の仲見世をさらに混雑させた状況を想像していただき、さらに地元で経験されたすべてのお祭りでの屋台と子供達をそこに置いていただきたい。すると、ちょうど私の体験した夜市の様子となる。地元の人たちは数人のグループかカップルだが、そこにかなりの数の家族連れがいる。金曜日だからかも知れないが、夜中の11時12時なのに、子供も親も平気でゲームや金魚すくいなどして遊んでいるし、たいそうこっていりした脂物を食べているのには、本当に驚いた。ちなみに夜市にあった何件かの肉の屋台では、「多脂!」を売り物としていた。この街では、肉は脂が多いことで評価されているらしい。
この日は暖かく、昼は27度、夜中でも20度くらいあったと思うが、すさまじい熱気であった。
ホテルでの出会い
あまりに綺麗なので思わず写真を・・
絶好のシャッターチャンスをのがしてしまった。
私に「ピース」してくれたが、素敵過ぎて見とれてしまったためだ。
<3日目;歩行距離 22,091歩 14.3Km>
3日目は終日フリーだ。そこで、今日は1日フリーのMRTチケットをフルに利用する計画だ。
まずは、ホテル近くの
南京東駅から木柵腺
(高架上を走っていて日本の「ゆりかもめ」と同じ)に乗り、忠孝復興で地下鉄となる板南線に乗り換え台北駅へ、さらに淡水線に乗り換えて中正記念堂へ向かう。そこで、注文の印鑑を引き取り、有名な飲茶店で一休みし、その後弁当を引き取りに台北駅へ向かい、そこから淡水線で河口側へ向かい、終着駅の「淡水」を目指す。
河口の街、淡水を観光した後は、淡水線で士林まで戻り、今度は路線バスにて故宮博物館へ向かう。戻ったところで、台北最大の士林夜市で旨いものを食べまくる。
これが、初日の夜に立てた盛りだくさんの予定だ。
すっかり仲良くなった現地ツアーガイドのおば様に、この日の行程を相談し、所要時間など色々と聞き込んだ。彼女は私の計画を聞くと大層関心し、自分の知らない情報を盛んに台湾のガイド仲間に確認して、熱心に教えてくれた。「こういう楽しみ方、いいわねえ。 きっと素晴らしい、アバンチュールになるわねえ」とは彼女の談だが、旅のプロも他の台湾の人々同様、英語には弱いらしい。
この場合、パンチが効いていて冗談としては雰囲気はいいが、「アドベンチャー」が正しい言い方であることを、やんわりとご指摘させて頂いたのであった。
MRTにて旅が始まる
道路名といい、乗降車の方法といい、実に合理的
地下へ向かう。 まるで大江戸線
<エピソード4;駅弁を注文する>
前日のパーティー中に、台湾に向かう機内誌情報で仕入れた台北駅の
駅弁
を予約しておいた。
この弁当は「地球の歩き方(すこし古い版)」で事前に調べていて、ぜひ入手したいと思ったものの一つだ。阿里山森林鉄道での名物で、その鉄道路線上のホテルが作っているものだ。中身の美味しさも勿論だが、弁当の容器がアルミのコッヘル状であり、容器ごと売られている。誌面では森林鉄道に乗車するしか入手方法がない、と紹介されていたので諦めていた。
その憧れの弁当が毎日限定30食、台北駅で売られていることが機内誌のコラムで紹介されていた。なんという幸運。さらに、コッヘルはステンレス製で同じくステンレス製の箸も付く。とどめは、容器が入る可愛らしいトートバックまでが付いている。値段もびっくり300元(1200円ほど)。 なんという幸運。(少し、くどいか・・)
この弁当は電話にての予約が可能だ。機内誌には予約先の番号が書かれていて、英語が少し通じるとの注意書きまである。 8時までの連絡時間制限のため、電話してみると3分間で2元の市内通話が、10元も使ってしかもまったく英語が通じない。一計を案じたが、現地のツアコンがツアーデスクに詰めていたので事情を話して電話での予約をお願いし事なきを得た。
「機内誌侮るべからず」、が今回の教訓その1だ。
「英語は少しなら大丈夫、と書かれていたらまったく通じないと考えよ」が教訓その2だ。(ちなみにコンビニやお店のお姉さんなども同じで、あまり通じなかった。でも、大学生のアルバイトさんに当たれば、ほとんど大丈夫だ。)
<エピソード5;高山烏龍茶・凍頂烏龍茶(とうちょう うーろんちゃ)>
飛行機で相席になった先輩(この人は少し前に仕事で台湾にしばらく詰めていた)が当時滞在していた都市を電車で訪問するという話を聞き、弁当の予約を一緒にするよう勧めた。利用するのが台北駅からの列車なので、引き取りも便利と思った。
最初は私の印鑑の引き取りがあるが、先輩を道ずれにして2人して予約を取りに向かった。思い通りの出来ばえの素晴らしい印鑑を手にした喜びで、私はすっかり気を良くして、駅へはタクシーで向かうことにした。
車を拾うために大通りへ向かっていると、昨日あれだけ探しても見つからなかった
「興華名茶」
があるではないか。小奇麗な店舗の様子にどうにも我慢ができずに寄ってしまった。(エピソード2;「印鑑を作る」)
この店は、台湾国内での無農薬の栽培茶を自家加工場で丁寧に仕上げていることが紹介されていて期待していたのだが、店舗や店員の接待(途中から日本語が判る若社長へチェンジ)の様子で、本物であったことが納得される。印鑑店と含めて永康街での目標であったが、ここで美味しいお茶を購入することができた。私は、その爽やかさが気に入って阿里山の1200mで栽培したものと1400mで栽培したものの2種類(高山烏龍茶と凍頂烏龍茶)を選んだ。先輩などは、この店の味が大層気に入った様子で、新茶の高級品から普段用のお茶など沢山買い込んでいた。
思わぬ収穫にさらに気をよくしながら、歩いていると、駅への方向が分からなくなってしまった。この街ではUターン(そもそも中央分離帯や中央の緑地公園ベルトがあるので、日本的に方向を変えることが難しい)が禁止されているらしく、目的方向の車線を選んで乗車しないと思わぬロスになる。
そんなこともあって交差点で地図を広げて確認していると、地元の主婦が声を掛けてくれた。達者な日本語で駅への道とおよそのタクシーの値段を教えてくれた。
親切を噛みしめながら、すこし遅れてしまった予定を取り返すべく、私たちは台北駅を目指した。
<エピソード6;淡水を目指す>
目的の
淡水
へは、台北駅から淡水線に乗っておよそ50分の道のりだ。
列車は途中から地上(しばらくは高架なので景色が良い)に出て、淡水川に沿って蛇行しながら北上する。車窓からは、通り過ぎる街の様子や川の景色、遠くの山並みが楽しめる。士林の先にある陽明山(花 の季節ではないので、あまり面白くないとのこと)や淡水の対岸にある観音山(一日の行程でないと無理だ、とのこと)を当初の目標にしていたが、有能な現地ガイドのおば様の勧めをのんで、「またの機会」にした。
思わぬ近さにある山並みをみていたら、やはり山へ向かうべきだったか、と思い少し後悔したのであった。
淡水では、魚のフライとスープが名物(ムール貝なども有名)で楽しみにしていたのだが、昼を過ぎると驚くほどの多くの人々が駅からどんどん溢れはじめた。考えてみると、土曜日の2時近くなので、半日働いた後で移動を開始すると台北からここに着くのがちょうどこのくらいの時刻となるわけだ。その光景は、高橋留美子が描く「うる星やつら」などのアニメで画面いっぱいにどんどん人が溢れてくる様子そっくりで、帰りを思うと少し怖くなってきた。
楽しみにしていた食べ物はあきらめて、故宮博物院への起点となる都市、台北までの帰路の途中にある「士林(最大の夜市で有名)」まで戻ることにした。河口沿いの料理店周辺は人出がすさまじく、ゆっくり食べられそうにない。それに加えて、帰りの混雑を思いげっそりしたせいもあるが、正直に言うと台北駅で予約して仕入れた「お弁当」がすごい量(およそ2.5人前ほど)で、それを食べたら、実はもう少しも食べられない状態に陥っていたのであった。
<エピソード7;故宮博物院>
青磁の陶器や山水画を見るのが、この日の大きな目標であった。
故宮博物院
は、かねてから行ってみたい場所だったので、かなりの期待をこめて訪れた。
移動には台北市街からタクシーという方法もある(後で聞いたら200元くらいで行くらしい)が、市の北にある士林という地方都市からバス(2区間分の規定料金30元;約20分ほどの乗車時間)で向かうのが、今回の予定だ。
士林は小都市なのだが、小奇麗で少し賑やかなアーケードがメインストリートにあり、街の様子は学生時代に住んでいた駒込に良く似ていた。ほんの少しのタイミングで故宮行きのバスに乗り遅れたので、次のバスが来る30分ほどの間で、駅の近くにあったキリスト教の教会をスケッチした。
バスに揺られて、小高い丘を登っていって博物院へ到着した。「故宮には中華のお宝がある」、思わず私の頭にこだました声を飲み込んで、私は喜び勇んで展示コーナーへ向かった。(たしか少し前まで中国3000年の歴史といっていたと思うが、案内板ではさらに歴史が伸びていた。気のせいかもしれないが、なんだか5年おきくらいで1000年オーダーで歴史が伸びている気がするのだが・・・)
果たして、これほどの喧騒に包まれた美術館・博物館が存在するのだろうか?
地元、台湾旅行者(あるいは本土?)の何組かのグループ・団体、が大声で話しながら見物している。まるで、夜市で遭遇したあの喧騒と同じだ。博物館で展示物をとおして歴史や民族と向き合って何かを汲み取るのではなく、その人たちは観光地を眺めるのと同じように、本当に「見物」しているのだ。
今回の教訓3;「故宮に行くなら平日、あるいは午前中。でなければ語学の勉強にしかならない」
<エピソード8;街での親切>
ホテルに戻って(士林の混雑に、あの街の有名な夜市はパスとした)、食事に出かけた。ホテル近くの遼寧街夜市へ行ってみた。先に紹介した先輩が初日に行っていて「あんなのは夜市じゃねー」と言っていたのを思い出した。そんな規模なら、私でも寛げるに違いないと考えた。
行ってみると、前回訪問した夜市とは打って変わって、地元の人々の寛ぎの場としての市であった。「これですよ、これ」と手を打つ思いで、見物した。海鮮料理、肉とラーメンなど、さまざまな店舗が客を引いていて、次々に地元の人々が入っていく。2往復ほどして、私も美味しそうなスープと餃子の店に入った。
その美味しさにに充分満足してホテルに戻る途中で、やはり事前にチェックして行きたいと考えていたコーヒーショップに偶然めぐり合った。
「
85℃
」というオーガニックのコーヒーチェーンだ。情報誌によれば、このショップはケーキも美味しく地元で人気の店がある。
ケーキを2種類とコーヒーを注文すると、またしても英語が通じない。オーダー表に記入し筆談を試みてまごまごしていたら、後ろの子供連れの主婦が私のメモ書きを覗きながら中国語で店員と話し始めた。私に対しては流暢な日本語だ。このひとの出現で私は無事に買い物を終えることができた。
その主婦にお礼を言っていたら、背後にいたおばあさんが「あんた、東京かい?」と明確な江戸弁で聞いてきた。「いいえ、大宮です」などと答えると「私しゃ、東京でね。へえー、感心だね。あんた、そうやって買い物を書いて記録しているのかい?仕事かなんかででこっちに来てるの?」とさらに江戸弁が続くのであった。しばらく話しをして、お暇したのであった。神楽坂あたりの古い商店主の話か、落語家くらいでしか聞くことの出来なくなった、活きのいい言葉にこんな場所で出会うなんて・・・。
最初からミルクと砂糖が入った少し甘いコーヒーと美味しいケーキを食べながら、ホテルの部屋で思いがけない出会いを喜んで、なんともいえない時間を楽しんだのであった。
<エピソード番外編;カミカゼタクシー>
台湾のタクシーはアメリカと同じイエローキャブだ。屋根の上にタクシー会社のサインは無く、ボディーにも案内は無い。基本的には皆、登録制の個人営業のようだ。
車は傷があったり、へこんでいたり、あるいは少なからず改造されていてオーバーフェンダー付きも多い。そういう車は、すさまじいスピードで、しかも関東のドライバーには信じられない車間距離で走る。あっという間に目的地に着くが、怖い思いもいっぱいだ。
でも、料金を考えるとバスで乗り換えて行動するより安く付く。なにせ、夜間割り増しでかなり距離を走っても100元位だ。(2人以上で利用するなら、かなりお得だろう。)
夜市からの帰りに乗ったタクシーは、乗った瞬間に、「しまった!」と思った。愛想も悪いし、かなり飛ばす。それにオーバーフェンダー付きだし車高も若干低い。マニュアルミッションのギヤはショートストロークのものに交換されている。
でも、しばらく乗っていたら、カーオーディオ(かなりいい音の製品だ)を忙しなく操作し始めた。流れ出した曲は「蘇州夜曲」で、どうやら歌っているのはテレサ・テンさんだ。窓の外はすごいスピードで流れ去る夜の街だが、不思議にしっくり来て、なんだか聞きほれてしまった。この曲が終わると、またピピピッとすばやく操作した。聞きなれた前奏は「北国の春」だ。これもやっぱりテレサの声だ。そのときの私は3人連れで出かけていたが、3人とも思わずしんみりし、小声で合唱してしまった。
台北駅へ向かうときには、意識して傷のあるボディーやオーバーフェンダーを見送った。乗ったホンダ車のドライバーはやはり愛想が無かったが、走り出すとすばやくオーディオを操作し始めた。これもすごくいい音だが、今度はクラシックだ。(綺麗なボディだが、運転はやはりすさまじかった)
日本のタクシーと同じくらいに無愛想で、中年太りしたおっさん然としていても、サービス精神はすこぶる旺盛だ。
その妙味に関心せざるを得ない。なぜならタクシーで音楽のもてなしを受けたのは、この旅行が初めてだったのだから。
早朝より図書館の席取りに並ぶ
公園にあったワンちゃん用のエチケット袋
ちなみに台湾のコンビ二では、袋は有料だ。
(買い物の精算時に、要・不要を必ず聞かれる)
片側3車線の道路の中央にあった遊歩道
<4日目;歩行距離 10,091歩 6.5Km>
とうとう旅の最終日だ。
今日は日曜日なので、ホテルの近くの公園へ早朝出かければ、地元の人たちの太極拳が見られるかも知れない。そんな予想で、すこし早かったが朝食前に出掛けてみた。思惑通り、近くの公園では、数人の人たちが太極拳をしていた。グループで円陣を組んでいる人たちは、健康体操のような準備運動をしている。見事な太極拳をしている人がいたので、カメラを見せて写真を撮らせてくれるようジェスチャーしてみたら、だめだという。台北のお爺さん達は、おばあさんやおばさん達の人懐こさとは逆に一様に頑固なようだ。
朝食後、さらに散歩に出かけた。ホテルから北側へはあまり足を運んでいなかったからだ。
数ブロックほど行くと、商店のアーケードを抜けて、新開発されたらしい地域に入った。大手町を歩いているようなモダンなビルと数車線ある大きな通りがある。この通りの中央はグリーンベルトになっていて、緑の散歩道が整備されている。私は、そこにあるベンチに腰を下ろして美しい噴水をスケッチした。
台北、士林、淡水、といくつかの街を歩いた。
歩行総距離では30Kmを越える。でも、私は路上のごみや吸殻を一度も目にしたことが無かった。どの街にも緑が溢れ、花が咲き、人が溢れている。都市生活の場である裏通りも同じだ。玄関にたたずむ老人や賭けカードに興じる人々、など日本と同じような光景があったが、そこにもごみや空き缶の類は無かった。そもそも、路上には一切の自動販売機が無いし、歩いてタバコを吸う人々もいない。
きれいな都市、とばかりは言っていられず、一戸建てなどはとうとう一度も見かけなかったし、通りに面した住人はみな6階ほどのアパート暮らしだ。xx街という居住地域(主要な通りの裏側)では、古い低層のアパートや長屋が続く。
そういえば、食料品店(いわゆるスーパー)や八百屋さんなどの食材屋を一度も見かけなかった。店舗を構える外食屋さんには必ず「週3、4,5,6食でいくら」といった意味だと思われる張り紙の案内がある。想像するに、週単位で食事を予約し精算するのではなかろうか。そういえば、餃子を食べた店など地元向けの食堂街(夜市のミニ版)では、いかにもすぐ近所から食べに来たという感じの子供が何人かいて、オーダーするとも無く食べていたのをみかけた。日本では見かけないシステムだが、きっと都市では自炊は珍しいことなのだろう。
この街を歩き回ってみて、ほんの少しだけ「都市に生活する」ということが判った気がした。
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