小さな旅の空の下 のインデックスページへもどる小さな旅の空の下 のページ   Top Pageへ移動 Top Pageへ移動          このページを閉じる 閉じる

2009.05.03
赤城大洞(地元では大沼:おおぬま と呼ぶが・・)周辺  ;高層湿原と山麓の沢

アクセス;
 JR高崎線、両毛線(りょうもうせん)―前橋駅より関越交通バス(赤城ビジターセンター行き)
  ;長年運行していた東武バスの「赤城大洞」行きは東武鉄道の撤退により廃止された

カメラ;
 PENTAX K−10D

レンズ;
 PENTAX DA18−55mm F3.5−5.6 ALU
 PENTAX FA135mm F2.8
 PENTAX DFA100mm F2.8 MACRO


 ゴールデンウィーク中の三日、帰省して赤城山の山頂へ出かけた。

 当初は前橋の北辺にある「嶺公園(みねこうえん)」(2009.05.03 「水芭蕉(ミズバショウ)を追って」)へ行って水芭蕉の写真を撮っていた。三枚ほど撮ったら電池が無くなった。デジタルカメラなのでもうどうにもならない。電源を切って暫くして再度スイッチを入れたりして、騙し騙し、なおも何枚か撮ったが、もうどうにもならない。液晶には電池マークが点滅してしまう。もうだめなので、一旦前橋の南部にある実家へ帰宅した。

 折角、早朝に出かけた(着いたのは六時くらい)のに、なんと言う不注意だろう。充電器を持ってきていたので、充電してリベンジだ。時刻は当初の行動開始よりぐっと遅く、充電完了時点ですでに十時を回ってしまっていた。
ページTopへ移動
タチツボスミレ
芽吹く

 そうした出足の失敗で、今回は「荒山(あらやま):1572m」への登山は諦めなければならない。

 赤城の外輪山である「荒山」は躑躅(つつじ)が美しい山であるが嶺公園からさらに山麓を登った先にある登山口の駐車場はすでに一杯で停める事ができない。別の駐車場は空きがあったが、その場所は若干山頂への行程が長くなる。山頂へのピストンでも所要時間を考えれば大丈夫なのだが、ライトなどの装備を準備していない。

 今回のようなほぼ無装備の状態で、これから登りはじめるには時刻がなんとも遅いのではないかと心配になった。多分、登っても体力的には何の問題も無かろうが、手術後の不完全な身でもあるので所要時間を気にしたのであった。

「荒山(あらやま)」への登山道 サクラ
ページTopへ移動
ワラビ? サクラ

 「荒山(あらやま):1572m」への登山口となる駐車場は、実は公園としても整備されている。

 箕輪(みのわ)赤城森林公園」がそれで、バス停もあるので、前橋駅からのアプローチも可能だ。長い斜面を利用した長大な滑り台(380m)がある。だから、子供連れの家族には人気であり、駐車場には焼きソバやカキ氷の屋台も出ていて賑やかだ。

 以前、この場所に自動車を停めて荒山へ登った。最初はチップ(間伐材の切くず)を敷き詰めた整備された遊歩道であるが、暫く行くと岩場に変わる。所々に大きな岩があり、踏み跡は僅かで、目前の岩をみて進路を決めて登っていく必要がある。ほんの数年しか隔たってはいないのだがその時はじつに元気であって、何人も追い越してあっという間に岩場を抜け、登ってきた岩の通路が見下ろせる大きな岩の上でコーヒーを淹れたのであった。

 山頂への道はこの荒くれた岩場を過ぎればごく穏やかで、色とりどりのツツジ(レンゲツツジやミツバツツジ)が満開であった。実に気持ちの良い山行であった事を覚えている。

 今、あの岩場を抜けるのは少しキツイかも知れない。力を込めると、手術跡が痛む。だが、折角ここまで来ているのに行き過ぎてしまったらもったいないので、公園とは別の駐車場(「県立赤城ふれあいの森」)へ回って、登山道入り口の遊歩道部分だけでも少し歩いてみることにした。

 駐車場のすぐ上に桜の木があり、下界ではもうとうに時期を過ぎたサクラが満開の状態であった。このあたりは海抜があるので、今が桜の時期になる。途中、登ってくる道でも数多くのヤマザクラが道脇に競うように咲いていた。

芽吹き
ページTopへ移動
 さて、その場所からさらに山を登ることにする。今回は登山や低山逍遥というような「山行」ではなく、登ると書いたがあくまでも山へのドライブだ。

 箕輪の公園から赤城山の山頂部へは、もう少し登ればよい。途中で「白樺牧場」(「エネルギー資料館」と広い駐車場がある)の白樺地帯、標高1400mの新坂平(しんさかだいら)一帯を横目に見れば、もうじきに湖のある山頂周辺だ。

 「山頂」と書いたが、赤城山は独立峰ではなく、大きなカルデラ湖を中心にした幾つかの外輪山によって形成された山なので、正確には車で行くのは頂(いただき)ではない。

 その山々は、鍋割山(なべわり)、荒山、地蔵岳、長七郎山、駒ヶ岳、黒桧山(くろび)、鈴が岳などであり、二重にカルデラ湖を取り巻き、さらに広大な裾野を引いて広がっている。最高峰は「黒桧山:1827m」だ。ちなみに荒山は1572mであるので、比べるとすこし低い。

 カルデラ湖は地元では「大沼(おおぬま)」と呼んでいる。前橋駅からのバスでの行き先は「大洞(だいどう)」であった。東武鉄道が撤退し、大沼への路線バスは廃止された様だ。「関越交通」が引き継いでいる。赤城山頂は年平均気温は8度弱であり、冬は氷点下に冷え込むため、長野県にある諏訪湖のように結氷する。湖畔から近い場所では湖氷が整備されて天然のスケート場が出来る(天然といっても滑走料が掛かる)。またその奥では、赤城の冬の風物詩となるワカサギ釣りの釣り場となる。ワカサギ釣りにも、入漁料が必要なのは言うまでもない。このワカサギは漁協が放流している。ワカサギは密猟が横行していて、しかも放流直後などが狙われるらしい。不当な業者によって夜間に大量に捕獲され、何度か問題となっている。

覚満淵(かくまんぶち) 覚満淵への遊歩道

 さて、カルデラ湖の「大沼」の横には「覚満淵(かくまんぶち)」という高層湿原が広がっている。乾燥化せずに長く湿原を保っているが、淵には満々と水をたたえた湖(湧水であるが雪解けの水が満ちたもの)がある。これを中心にして周回する形で遊歩道が整備されていて、湿原の植生にダメージを与える事無く一周りできる。

 この道、上の写真でお気付きだろうか。あの「高尾山」と同じ「関東ふれあいの道」の一部だという。それにしてもなんと言うスケールの道だろう。

 覚満淵とほぼ同じくらいの規模の湖がもう一箇所、この山にはある。「小沼(こぬま または この)」と呼ばれているもので「長七朗(ちょうしちろう)山」の山麓にひっそりと広がるものだ。この沼(湖というより沼の雰囲気がぴったりする)へは、大沼からもう一登りして、車でそのまま行くことができる。かなり神秘的な雰囲気に溢れていて秘境と呼んでもいいかも知れない。以前、私はひと周りして写真を撮ったが実に静かな場所であり、休日だったがすれ違ったのは僅かに一人であった。

 大沼と違ってまったく観光化されていないので、逆に面食らう。あまりに静かで、訪れる人も疎らだ。鳥の声を聞きながら静かに過ごすには持って来いの場所だ。その雰囲気は一種独特で、竜神伝説が生まれたのも頷ける。

 ただし、この「小沼」、冬場には様相が一変する。大沼同様に全面結氷するのだが、氷上レースが行われる。環境問題に敏感となった昨今、未だに開催されているのかどうか判らないが、私が若い頃は盛んであった。タイヤにごついスパイクを植えた車が氷上を疾駆していた。

覚満淵 覚満淵
ページTopへ移動
覚満淵のミズバショウ

 「覚満淵(かくまんぶち)」には、水芭蕉が植えられている。以前訪れた時にはかなりの株が咲いていたのだが、今回は見かけなかった。もう、花期を過ぎてしまったのだろうか。

 山頂へやってきたのは、実はこの場所に咲く水芭蕉を期待してのことであったが・・・。

 仕方が無いので、道を挟んだ反対側にある「赤城山ビジターセンター」の脇に植えられた水芭蕉を写した。わずか25mほどの水路に再現された環境であるが、それも仕方が無い。雰囲気だけでも味わっていただけるだろうか。

覚満淵
ページTopへ移動
 「赤城山(あかぎやま)」は前橋市の北方へそびえ、市民にとっては実になじみの深い山だ。

 日光の男体山と赤城山の神様(大ムカデと大蛇)が戦い、赤城の神が破れて、傷ついた体を温泉で癒したという神話があり、その場所が「老神(おいがみ>追う神)温泉」であるという。傷を癒した神が追って来た日光の神をこの地で追い返したことによる。日光の「戦場ヶ原」はその戦いの舞台、という。こうした神話だけでなく赤城山と榛名(はるな)山の神が互いに龍となって戦った話や、赤堀(あかぼり;赤城山麓)の豪族の姫君が赤城山を慕い「小沼(こぬま)」ヘ行って入水し龍に化身する竜神伝説なども伝わっている。姫君を小沼の竜神がみそめて山へと誘い、連れ去るという話だったように思う。

 このため、年寄りなどは「あかぎのお山」と言ったりするが、私の祖母もそうした言い回しをしていた。朝な夕なに広大な裾野を広げる山を仰いで、その日の天気の流れを予想した。

 特に前橋から見る赤城山の眺望は、手前に大きく「鍋割」が張り出して流麗にそびえている。その後ろに尖った山容の荒山、さらに長七郎や黒桧が続く。

 山上に雲はないか、鍋割(なべわり)は見晴るかす事ができるか、などで天候が予測できるのであった。

覚満淵 覚満淵
ページTopへ移動
覚満淵 天気は曇りで、五月としては少し肌寒い状態であった。

晴れていれば、青空が広がって、白樺とのコントラストが美しかったに違いない。

 秋口を過ぎると市域全体を吹き通る季節風が激しさを増す。いや、前橋だけではなく大胡(おおご)、新里(にいさと)、赤堀、粕川、伊勢崎、その先の玉村や新田(にった)、本庄あたりまで、この強烈な風は吹きすさぶ。有名な「赤城おろし」だ。

 「空っ風(からっかぜ)」と呼ぶが、これは赤城山から吹き降ろす強烈な北風だ。県北の三国山脈からの積雪をともなった寒気が山脈や子持山(こもちやま;1296m)、小野子山(おのこやま;1208m)にぶつかって雪を落として乾燥し赤城の高原地帯を回りこみ、さらに加えて武尊(ほたか)・片品・日光方面の湿った季節風が赤城北面で雪を落として、乾燥した空気となって吹き下って来る。

 上州人の気質は荒く、何事にも短気であるが、その一因となっているのが、冬の季節中止むことがないこの風だ。
ページTopへ移動
大沼湖畔の赤城神社 大沼湖畔にある
赤城神社

出島のように張り出した島にある神社へ、この橋を渡ってお参りする。

建物は新たにつくられたものだが、延喜式の古い歴史のある神社だ。

 一方の「かかあ天下」は気候風土とは関係がなく、単に婦人層が良く働くことを称えた言葉だ。

 昔、前橋や周辺(伊勢崎や玉村など)では養蚕や機織(はたおり)などが非常に盛んで、農閑期に勤勉に働いたのは女性達だ。これらは土地の主要な産業であったから、その働きは全力投球での労働であった。

 「上州無宿」に代表される博打好きや江戸市民同様に宵越しの金を持たない浪費癖のある旦那衆に代わり、こうした婦人の勤勉さが家庭をしっかりと支え、その働きが「かかあ天下」と呼ばれる所以となったのだ。

 私の父も伯父も大層な呑み助であったが、そんな息子達を捕まえて「男衆(:おとこし)はしょうがねえ」とよく祖母は言っていた。裕福な農家であるにもかかわらず、腰が曲がってからも長年にわたって機を織っていた祖母からすれば、のんびりとした男達が歯がゆかったのかも知れない。

大沼 ヤマザクラ
ページTopへ移動
ヤマサクラ

 大沼を後にして、また箕輪まで降りてきた。

 昼を過ぎたためか、駐車場に空きがあり、車を止める事が出来た。この場所は、道を挟んで渓流があり、沢脇へ降りることが出来る。渓流沿いには、遊歩道が沿っていて、自然公園として整備されている。とはいっても足元の道が整備されているだけで、木々や草花などは土地固有の自然のままの環境だ。

 渓流に降りる途中の斜面に、カタクリが咲いている。以前、この時期に訪れた際に発見したものだ。それから何年か経っているので、どうかと思ったが今年も咲いていた。小川町での自生地(2009.03.17 「武蔵野の小京都(小川町)」)もそうであったが、少し湿った北向きの斜面を、この花は好むらしい。
ページTopへ移動
カタクリ

 可憐に自生するカタクリに気を取られていたが、その傍らに珍しい花を見つけた。

 「ハナネコノメ」だ。いや「シロバナネコノメソウ」か。ごく小さな花が粒状で連なって咲いている。あまり、小さいので見過ごすところだったが、白い色が目に付いたので、存在に気がついて写真に写すことができた。山野草はいろいろ写しているが、この花との初めての出会いだ。

カタクリ ハナネコノメ
ページTopへ移動
ハナネコノメ 沢沿いの遊歩道

 渓流の岸にもタンポポが勢力を張っていたが、遊歩道にも盛んに咲いていた。他の野草を駆逐しなければ良いのだが、カタバミやジシバリのような花の仲間はやはり他を圧倒する根強さがある。

 せっかく見つけたネコノメソウ。果たして、来年以降に再訪したときめぐり合えるかどうか。少し心配になった。

 スミレやヤマエンコグサも盛んに咲いていた。スミレは山間でよく見かける「タチツボスミレ」だ。水の近くだと別種も咲いているのだが、一様にタチツボスミレばかりが咲いていた。

 もう少し、遊歩道に沿って歩いて、草花を見つけてみよう。

カタクリ ヤマエンコグサ
ページTopへ移動
ヤマエンコグサ 白樺

 「白樺」あるいは「シラカンバ」は、赤城山に多く自生している。幼少のころ、この山で白樺を目にして大好きになった樹木だ。何と言ってもあの独特の模様の地肌が良い。まるで「ヤマメ」や「イワナ」など渓流の魚に匹敵する第一級の芸術だろう。

 なんとも心が和んでくるが、山間で白樺を見かけると、その木を眺めながらコーヒーが飲みたくなる。不思議な連想なのだが、どうした作用であろうか。何か、原体験があるのだろうが、思い浮かばない。毎回、見かける度にふっと薫り高いコーヒーが飲みたくなってくる。

 白樺に眼を奪われていたが、ふと足元をみると、見慣れないスミレを発見した。「エイザンスミレ」の花だ。群生しているわけではなく、この一株だけが咲いていた。花期が過ぎたのであろうか。仲間はみな散ってしまったのだろか。

 先ほど「見掛けるのはタチツボスミレばかり」と書いたが、こうして別種にめぐり合うことができた。よく見かけるxxスミレの花達は、その葉を見ると大抵はハート型に近い丸い葉だ。ところが、このスミレ、葉の形状は異なるが似た種に「タカオスミレ(高尾山に自生する固有種)」がある。
ページTopへ移動
 「タカオスミレ」の原生する高尾山。その頂に建つ「薬王院(やくおういん)」は天平年間(744年)に時の聖武天皇の勅令により行基(ぎょうき)が開いたものだ。

 この偉人は朝廷からの信頼が厚かった高僧だが、後半生は都を離れて東大寺の大仏建立の勧進僧として送る。広く各地を行脚し、そこで行った様々な偉業が土地に伝わっている。彼の足跡が全国津々浦々、いたるところに残っているのだ。掘削指導した灌漑や開いた温泉が今に残り、同じく彼が開いた港などが多数に渡るという。この時代の類いない偉大な人だ。たとえば、時空を越えてその時代に事を成すために使わされたのではと想像されるほどに、その着想や行いは時代を飛びぬけている。

 今の薬王院は真言宗の寺で、修験の地でもある。修行といえば、叡山(えいざん)が有名だ。比叡は最澄が開いた天台宗の総本山がある地だが、それ以前から寺院があったと思う。山岳信仰が仏教以前にあって、それは純粋に山を尊ぶところから自然発生したものだろう。いわばそれらの信心は神道で仏教とは違っていたはずだ。

 しかし、雷神や水源を敬って祭り、そうして山頂が聖地化する内に、やがて八百万の神を祭るといった純朴だった信仰が変化し始めたのではあるまいか。仏教伝来直後の思想を受け継ぐ平安ニ教と呼ばれる天台や真言の密教は、後に発生し今に伝わる大乗仏教とは少し趣が異なる。それは自己修練への道とでもいおうか。自らを律し、身を絶つほどに切り詰めていく。その修練の積み重ねによって、やがて精神的な高みにいたることになる。そうしたものを目指したものだ。

エイザンスミレ ヤマザクラ

 山に入るような高位の僧侶だけでなく、名もない末端にいた僧達の修行の内容にもやはりそうした動きがあったのではと思うのだ。

 比叡山と高尾山は共に修行の場。山自体が力を持っていると信じられた<霊域>だ。両者には同じような性格があり、行人や修行者が仏教伝来の太古から往来したのではあるまいか。


 そうした往来の中で偶然に種子が運ばれたのだろう。「エイザンスミレ」と「タカオスミレ」、二つはそれぞれの山稜での固有種だが、叡山スミレの方は各地に広く分布している。天台宗の総本山ではあるが「比叡山」は開かれた学問の場で、平安時代の当時は大学的な色を持つ学究の山だった。

 ここへ全国から優秀な僧侶があつまり、学びを収めてまた各地へ散っていった。その際、図らずもスミレの種子がはこばれて広く分布する結果となった。このスミレが咲いている赤城山もまた、古くからの信仰の山であり、修験道の聖地であった。

 このように考えるのだが、こんな想像を楽しめるのもスミレに多くの変種(近隣種も含めて)があるからだ。
ページTopへ移動
 ハナの時期はもうとっくに終わってしまったのだが、またサクラを楽しめた。山間ではこの時期が盛りだ。「ヤマザクラ」は染井吉野と違って、いかにも山間で咲くという感じの葉の色が素敵な花だ。

 山間で野生種が逞しく咲いている様を見ると、やはり桜花はいいな、と思う。

 なにより、見ていて飽きることがない。

ヤマザクラ ヤマザクラ
ページTopへ移動