家族のイベント のインデックスページへもどる家族のイベント の ページ       Top Pageへ移動 Top Pageへ移動       このページを閉じる 閉じる

2009.11.25
ボクの自転車(子供の自転車を選ぶ)

走行距離;
 15km;さいたま新都心>大宮公園>市民の森 往復 (のんびり いこうよ 2009.11.23 「大宮 「市民の森」 の秋」 )


カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.4

 (画像添付時に約30%程度に圧縮)


 子供の自転車は24インチ。

 デザインはMTBの骨太フレームで、オールアルミ製で軽量なものだ。キッズモデルなので正式には「MTB」とは呼べないが、スタイルは忠実にMTBの特徴的なデザインを踏襲している。

 変速システムはリアのみで5段。前後輪ともにショックアブゾーバは組込まれていない。

 大宮の某SHOPのオリジナルモデルだが、私がその軽量さに惹かれて購入を決めたものだ。どんなスタイルが良いかを聞いたところ「どこでも走れる自転車」とのことで車種(スタイル)だけは本人の希望によるものだった。

大宮公園へ 武蔵一ノ宮「氷川神社」の参道

武蔵一ノ宮 「氷川神社」の参道

 さて、その自転車だが、最近になって「だいぶ、小さい」とこぼし始めた。

 聞き込んでみると、周辺の友人が26インチなど大き目のものに順次買い換えているためだった。

 私が見るに、さほど小さな感じがする訳ではない。その話を聞いた際も、ハンドルとサドルを調整すれば、まだ充分にイケるような気がしていた。

 先日、一緒に「鴨川」の岸辺へ花を見に出掛けた時の事だ。コスモス畑に向かっているとき(2009.10.04 「秋の入り口」)に改めて前を走る子供の様子を注意して観察すると、なるほど、140cm程に伸びてきた身長からは少し車体が小さいようだ。
ページTopへ移動
 私は背がとても小さく、ダイアモンドフレーム形状の24インチの自転車を買ってもらったのは6年生になった時だった。ちなみに、私の中学入学時の身長は、確か136cmほどしかなくて、朝礼などで整列すると前から3番目だったと思う。

 24インチの白いスポーツ自転車を買って貰ったときは、ひどく嬉しくて、私は毎日のように自転車を磨いていた。

 セミドロップのハンドル、外装5段変速、リアには当時流行のフラッシャーが付いていた。私の自転車の「フラッシャー」は、6個の電球(赤い円筒形のプラスチック・カバーが電球毎に独立していて比較的小型のものだった)が並んでいてリレーで順次点灯して方向指示が出来るというものだった。

 変速機が嬉しくて、「粕川村(かすかわ)」や「新里村(にいさと)」などの前橋北部に位置する小さな町へと、友人と共に頻繁に掛けた。今、それらの村は平成の大合併によって前橋市へ編入されているらしい。

 それらの町は赤城山の麓とも言える場所だったが、前橋からは少し長く続く坂道を登れば、子供の足でもたどり着く事が出来る場所だった。赤城山を真っ直ぐにどこまで登っていけるかと、頂上の大沼方面を目指して遊び仲間の皆(仲の良かった6人ほどだったと思う)で出かけたのは6年生の頃だ。その時のサイクリングは、前橋の市域を越えて、さらに赤城神社の「一の鳥居」を過ぎて有料道路(大分昔に償還されて今は無料)の入り口手前あたりまで行った。

 前橋の街を一望できるその場所は、もう「富士見村(ふじみ)」だった。勿論、その先へはとても登れるものではなく、小さな私達一行は、そこで登ることを断念した。それに懲りた私達は、今度は一転して<南>へ向かった。前橋の南部を過ぎて「玉村町(たまむら)」へ行った。利根川に掛かる「福島橋(ふくじまばし)」を渡って少し怖くなってきて、そこから引き返した。

 それから中学2年生までは大好きなその自転車に乗っていた。星が好きで天文学者に憧れていた私がつけたのが「ベテルギウス号」というオリオン座の一等星の名前だった。

 早い話が、私にとってそれは、またとない「愛車」だったのだ。
ページTopへ移動
 中学3年生での身長は155cmに伸びて、朝礼の整列順も10番目ほどになっていたから、父も見かねて新たな自転車を買ってくれたのだろう。

 ナショナル製(今のパナソニック製)の銀メタリックのロード(ランドナー風のスポーツモデル)の27インチを買って貰った時は、以前にも増して嬉しかった。

 メタリック塗装された車体はいつ見ても銀色に輝いている。さらに主要なパーツはアルミやステンレスで、アルミ部品は鈍く渋い輝きを放っているし、ステンレスのパーツもキラキラと光っていた。

 それは、まさに少年の輝く夢なのだった。

 自分で決めた27インチという「いっぱしのタイヤサイズ」も、精悍なドロップハンドルも格好が良かったし、1と1/4(3/8だったかも知れない)という細身のタイヤを履いたリムも軽量で、スピード性能も素晴らしかった。それだけでなく、形状が素敵なダイナモ一体型の小さなランプや前後にさりげなく用意された小さなキャリア (フロント側は一本支持のA6版ほどの実に小さなものでリア側もB5版ほどだった) などの付属装備も、魅力的だった。

 フロントには布製のサイクルバックを付け、へたって形が悪くなるので、後に長方体のバックに合わせてアルミの薄い板で型を作って、バックの内側を保持した。パーツ交換などは出来なかったが、センター・スタンドを付けたりしてハンドメイドでツーリング用に仕立てた訳だ。

 暫くして軽量化を目指して、折角付いていた泥除けやリアキャリアなどは、みな取り外してしまったのだが・・・。

氷川参道 大宮公園へ

 前橋から高崎の「観音山(かんのんやま)へ登っていったりした。高崎の市街地と「烏川(からすがわ)」を挟んだ対岸に「百衣観音」というセメント製の巨大な観音像が山頂に建っているのだが、その小高い山へ登ったりしたわけだ。さらに、そこを越えて安中まで行ったり、榛名山を登って伊香保の街(温泉街の「石段街」に親戚の家があった)まで行くなど、フロントバックに弁当やおやつや水筒(ペットボトルはこの時期、世界にまだ登場していない)などを入れて周辺へ度々ツーリングに出掛けたものだ。

 ボトル・ゲージなどは取り付け用のタボ穴も開いていなかったし、ボトルなどの便利な小物自体も当時は開発されて無かったと思う。携帯用のポンプは軽量だったが、フレームのチュープ間に差し渡す長いものだった。

 高校受験を前にして、そんな風に自転車に夢中になっていたので、その都度、恩師にはひどく叱られた。なにより、そそっかしい私の事故を心配して下さったのだろうと思う。


 高崎の町に出掛けている時にパンクして、押しながら探して入った自転車店で修理の方法を教えてもらったのも、その自転車での大切な経験だ。

 300円しか持ち合わせが無くてどうにもならず相談したら、店主のおじさんが修理方法を手を取って教えてくれたのだった。私はそこで見真似で何とかパンクを修理したが、丁寧に修理のコツを教えてくれた。

 それ以来、その指導のお陰で自分や家族の自転車をパンク修理に出したことは無い。全部私が引き受けるので、このときの教えは今思えば一番の財産になっている。

 ちなみにおじさんが受け取ったのは、修理に使ったパッチと接着剤代だった。その帰りにクリームパンを買った覚えがあるから、200円ほどだったのだろう。
ページTopへ移動
大宮第二公園 大宮第二公園

 ナショナルのロード車は、私が今乗っているどの自転車よりも高価なものだった。

 今考えると、自分も若い頃自転車をやっていた父が、価格を無視して買ってくれたものだと思う。そんな事も加わって、当時の私は嬉しくて仕方が無かったのだ。

 今でも鮮明に覚えているが、ほろ酔い加減で微笑みながら「もう(お前が行くことは)頼んであるから、店のおじさんと良く相談して、どれでも好きなのを選んで来な」と言うのがその時の父親の言葉だ。

 「来な(きな)」は佐波(さわ;前橋南部)方言で「くればいい」とか「いってきなさい」という意味で、もう少し軽いニュアンスを込めた柔らかな言葉だ。

 そこで私は未だ訪れた事が無い、前橋の市街地にある教えられた自転車屋さんへ向かった。父親とはかねて懇意であるらしい年配の親父さんに挨拶してから相談を始めた。そして、憧れの27インチのロード自転車を決めたのだった。

 この前の24インチの白い自転車の時もそうだった。その時の舞台は、家のすぐ前にあった町内の自転車屋さんだった。「明日、自転車屋さんへ行ってみろ」と言われたのだ。訪れると万事心得ていた店のおじさんが自転車を選んでくれた。
ページTopへ移動
大宮第二公園 市民の森公園で

市民の森で  (20091125:大宮 「市民の森」 の秋)

 そうした大切な物を選ぶ時に、父からは幾ら位のものを買えとか、これこれの候補の中から選べ、とか言われたことが一切無かった。

 我が家は裕福といえる状態ではなかったと思うが、父親は勤め人ではなく鉄骨屋(鉄工所:請負仕事)をやっていたので多少金回りのいい時があったのだろう。

 剛毅というか、昔気質というか、こういうのを何と言ったら良いのだろう。父に比べれば数倍気が小さく、遥かにしみったれた私には、とても出来ない言い様だ。

 教育などというものにはおよそ興味が無かったはずの父親だが、そういう状況でのやり方は徹底していたように思う。そしてそういう場面で私がしなくてはならないのは、自分の希望をしっかりと伝える事、その道のプロに相談して決める事、であった。そうした大切な手順が場面と一緒にあって、私は自力でそれらを切り抜ける必要に迫られたわけだ。
ページTopへ移動
市民の森からの帰路(芝川沿い) 見沼代用水沿いの店

 今回のポタリングでは氷川参道を走って大宮公園へ向かった。そこで、お弁当を食べて、大宮公園のさきにある「市民の森」へ行くためだ。ちょうど、公園では紅葉が最後の見ごろだろうと思ったのだ。

 少し前のワンゲルサークルのポタリングで、「市民の森」に大きなリスのゲージを見つけて、私はそれを子供に見せる事にした。そんな訳で、公園での紅葉のほかに、リスのゲージも今日のポタリングの大きな目的だった。そのゲージに入ってリスたちと楽しく遊んだ(2009.11.23 「市民の森の秋」)

 その帰り道、大宮公園へと戻ってきて、芝川沿いに進んだ。競輪場と大宮公園の間を流れる用水に沿って帰る事にした。この通りなら車が少なくて安全にさいたま新都心まで戻れるからだ。

 大宮公園の手前で、用水沿いの素敵なパン屋さんを発見した。

用水沿いの店


コロッケパン。ソースのからみ具合が絶妙だった。
コロッケパンを前に
ページTopへ移動
 川沿いに現れた瀟洒な佇まいのその店を、私は最初レストランかと思った。が、よく注意してみると、それは可愛らしいパン屋さんだった。

 雰囲気がよいので、多分、美味しいに違いないとにらみを着けて店に入ってみた。案の定、美味しそうな手作りの様々なパンが並べられていた。どれもみな、実に美味しそうだったが、オーソドックスな「コロッケパン」を選ぶことにした。そして早速、店の前に置かれたベンチで食べさせてもらう事にした。

 店の撮影を許可してくれるようお願いした時も、こころよく応じていただいて、本当に感じのよい店だった。今度から大宮公園に行った際には、この店に寄るようにしよう、と思った。

用水沿いの店 用水沿いの店

大宮公園の入り口横にある用水に沿って進むと、この店がある。
ページTopへ移動
2009アグレッサー

2009モデルのアグレッサー (RITE WAYのホームページ上よりカタログ写真を転載。 許諾済み)

 さて、今回子供に選んだ新しい自転車は、少年用ではなく通常のMTBで、タイヤサイズは26インチ(650C)のものだ。

 メーカーはMTBで名高いGTで、入門用の「AGRRESOR(アグレッサー)」というモデルだ。

 スポーツの道具として大人が乗ることが出来る自転車だから、フレームが大きい。店舗に置いてあった実車はMサイズしか無いので、XSサイズを取り寄せて貰う事にした。

 ブレーキはお馴染みのVブレーキで、前輪にはショックアブソーバーが付いている。変速システムは前3段・後7段の21速。アルミの骨太の高剛性フレームだが、軽量に仕上げられていて、車重はわずが14kg。

 メーカーの車種カテゴリーは「アドベンチャー・モデル」で、デザインやスタイルだけのものではなく、立派な「MTB」モデルだ。少年にとって、性能としては充分過ぎるほどのパフォーマンスを持ったものだろう。

 今乗っている自転車とは違って前カゴは付いていないが、きっと、沢山の夢を積み込めるに違いない。

 夢だけではない。一緒に多くの可能性を運んで、余りあろうと思った。
ページTopへ移動
 今回の自転車は、コストパフォーマンスを考えて私が決めた上で、確認のために店舗へ子供を連れて行った。その時に同行した家人に改めて聞くと、24インチに乗っていると思っていたのは私の思い違いで、実際に今乗っている自転車のサイズは22インチだという。

 オーバーサイズのフレームなので、私が思い違いをしていたらしいのだ。

 一挙に26インチはどうなのだろう、と心配もするが、大丈夫だろう。タイヤサイズよりも問題なのは、フレームサイズだ。店舗に置いてある車体はMサイズで、これは大人が対象なのだとしても少し大きいものだった。

 店舗の担当店員氏の好意で取り扱いの無いXSのフレームサイズの車体を取り寄せくれると言う。

 XSサイズではフレーム形状が同社独自の「トリプルトライアングル形状(カタログ写真を掲載したXS以外の各サイズの統一仕様)」とは異なり、低身長に対応した仕様になっている。サドルの下の部分で、トップチューブが曲げてあるのだ。だから掲載した写真のフレームよりもトップチューブの位置がさらに低くなる。

 跨って試した上で購入を決めたらどうでしょう、という破格の提案を頂いて、私達はそれに甘える事にしたのだった。


 「前輪がショック付きのMTBが良い」などの子供の希望は確認していたが、最終的には実車のデザインを見せて子供にどうするかを決めさせた。だから、私の少年時代と違って、子供が自身の考えで、最初から自分の好きなものを選んだ訳ではない。

 どうも私は修行が足りない。とてもじゃないが父親のようなダイナミックなやり様は、まだまだ当分出来そうに無い。いや、それだけではない。気に入ったようだが、所詮は親が選んだ宛がい物だ。

 はじめから自分で考えて、モノを選ぶ楽しさ。それは、ひとつ大人になる大切なチャンスだったはずだ。

 ひょっとすると「良かれ」と考えて私がした事は、私が経験できたのと同じ大事な経験を積む機会を、浅はかにも潰してしまったのかもしれない。

2010アグレッサー

2010モデルのアグレッサー (RITE WAYのホームページ上よりカタログ写真を転載。 許諾済み)

 数日経って、店舗から在庫確認の結果の連絡が入った。

 GTのアグレッサー XSサイズはメーカー在庫なし、との回答だった。店員氏はチェーンの他店にも問い合わせてくれたらしく、周辺の他店在庫も無い、との事だ。

 第二希望で在庫確認をお願いしていた「GIANTのROCK3 XSサイズ」も同様にメーカー在庫なし、との事だ。「今回は残念ながらご希望に添えません。さらにご希望があればお探ししますので連絡を下さい」との実に丁寧な連絡だった。

 子供の自転車探しはやり直しだ。今購入するのは24インチや26インチの低廉なシティ車にしておいて、本格的なMTBはもう少し身長が伸びた頃、だから中学生になってからにしようか、という結論になった。

 残念な事になってしまったが、実はただひとつ、幸いなこともある。
ページTopへ移動
用水沿いを走る

 私が、子供から摘み取ってしまった「選択する楽しみ」や「自分で考える」機会を、今度はきちんと与えられるかも知れない、という点が残った。選んだ自転車を手に入れる事は出来なかったが、かえってそれが私には幸いだったように思えるからだ。

 これで、執行猶予が付いたと言うべきか。父親としてやり直すチャンスが与えられた、という事になるのではなかろうか。

用水横の天沼テニス公園の銀杏 早く帰ろうよ!
ページTopへ移動