私は背がとても小さく、ダイアモンドフレーム形状の24インチの自転車を買ってもらったのは6年生になった時だった。ちなみに、私の中学入学時の身長は、確か136cmほどしかなくて、朝礼などで整列すると前から3番目だったと思う。
24インチの白いスポーツ自転車を買って貰ったときは、ひどく嬉しくて、私は毎日のように自転車を磨いていた。
セミドロップのハンドル、外装5段変速、リアには当時流行のフラッシャーが付いていた。私の自転車の「フラッシャー」は、6個の電球(赤い円筒形のプラスチック・カバーが電球毎に独立していて比較的小型のものだった)が並んでいてリレーで順次点灯して方向指示が出来るというものだった。
変速機が嬉しくて、「粕川村(かすかわ)」や「新里村(にいさと)」などの前橋北部に位置する小さな町へと、友人と共に頻繁に掛けた。今、それらの村は平成の大合併によって前橋市へ編入されているらしい。
それらの町は赤城山の麓とも言える場所だったが、前橋からは少し長く続く坂道を登れば、子供の足でもたどり着く事が出来る場所だった。赤城山を真っ直ぐにどこまで登っていけるかと、頂上の大沼方面を目指して遊び仲間の皆(仲の良かった6人ほどだったと思う)で出かけたのは6年生の頃だ。その時のサイクリングは、前橋の市域を越えて、さらに赤城神社の「一の鳥居」を過ぎて有料道路(大分昔に償還されて今は無料)の入り口手前あたりまで行った。
前橋の街を一望できるその場所は、もう「富士見村(ふじみ)」だった。勿論、その先へはとても登れるものではなく、小さな私達一行は、そこで登ることを断念した。それに懲りた私達は、今度は一転して<南>へ向かった。前橋の南部を過ぎて「玉村町(たまむら)」へ行った。利根川に掛かる「福島橋(ふくじまばし)」を渡って少し怖くなってきて、そこから引き返した。
それから中学2年生までは大好きなその自転車に乗っていた。星が好きで天文学者に憧れていた私がつけたのが「ベテルギウス号」というオリオン座の一等星の名前だった。
早い話が、私にとってそれは、またとない「愛車」だったのだ。
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