小さな旅の空の下 のページ
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2008.08.21
剱崎(つるぎさき)灯台へ
アクセス;
京浜急行―三浦海岸駅より京急バス:剱崎バス停下車にて徒歩
カメラ;
PENTAX
K10D
レンズ;
PENTAX
DA18−55mm F3.5−5.6 AL
PENTAX
DA50−200mm F4−5.6 ED
PENTAX
FA43mm F1.9 AL Limited
PENTAX
A100mm F4 デンタルマクロ
三浦半島へ出掛けた。
JRの「湘南新宿ライナー」で大宮駅から横浜駅まで行って、そこで「京浜急行」に乗り換えて三浦半島の南端部へ向かった。JR線はいつも通勤で利用している列車だが、大宮・新宿間は約30分、新宿から横浜までも同じく30分なので、一時間で移動することが出来る。そこでうまく京急の「快特」に乗れれば、大宮から三浦半島の南端の「三崎口」駅まで二時間で移動できてしまう。
今回は「一泊二日の行程」でのんびりとした旅行として考えているが、元気があれば充分に日帰りが出来てしまう所要時間だ。そうした恵まれたアクセスの状況を考えると、もっと頻繁に出かけても良い土地のように思えてくる。
八景島シーパラダイスがある「金沢八景(かなざわはっけい)」、鎌倉までバスで行ける日本有数のマリーナの街の「逗子(ずし)」、港町の盛り場の雰囲気を楽しめる「横須賀(よこすか)」や幕末維新時の歴史探訪に打ってつけの「浦賀(うらが)」、東京湾フェリーに乗れば内房(千葉)の金谷までは30分も掛からずに行くことができる「久里浜(くりはま)」、そして今回の目的地の「三浦海岸(みうらかいがん)」やマグロの水揚げで有名な「三崎口(みさきぐち)」などが、三浦半島にある京急(けいきゅう:京浜急行)の主な駅だ。
「京浜急行」は、品川駅や横浜駅を基点として乗下車自由のフリー・パス「三浦半島2DAYきっぷ」がお得な企画切符として発売されている。金沢文庫(かなざわぶんこ)駅までの往復運賃と、そこから先の半島南側はフリー区間となるものだ。このチケットの凄いところは、対象が電車だけでなくこの区間のバス路線も含まれるというところだ。上記の主要駅から各駅の間やそれらの駅から海沿いの観光スポットや行楽地へと、「京急バス」が活発に走っている。
切符の乗車期間には一日と二日のタイプがあり、横浜からの二日券の値段は大人1600円、一日フリーのタイプでは1400円。横浜駅から三崎口駅間の通常運賃が550円なので、単純に往復する運賃より500円ほど高くなる。しかし、このチケットのコストパフォーマンスは抜群で、途中下車したり、列車から降りて駅からバスに乗り換えて周辺のどこかへ往復すれば、それでもう「元が取れて」しまう。フリー区間の駅間での乗下車や周遊、そこからのバスによる移動がすべてこのチケットだけで済でしまう便利さを想像して欲しい。
一泊二日の旅行の際に使えば、移動時の小銭の出し入れが完全に不要になる。しかも、地方の路線バスの運賃はなかなか馬鹿に出来ないが、そうした交通費の心配から開放される事になる。
2005.11.05 Pentax OPTIO S4i 長井海の手公園 「ソレイユの丘」 にて
「京急」の駅を起点として路線バスで行ける観光スポットであるが、たとえば三浦半島に来ると良く寄る場所である「三崎口」周辺を例に紹介してみよう。
南欧プロバンスを模して牧場や村や街が作られた、雰囲気のある「
長井海の手公園(「ソレイユの丘)
」。
ここは米軍の住宅地跡を整備し’05年にオープンした公園だ。オープンの年の11月に行ったが、一面にコスモスが咲いていた。ビオトープの小川がある丘にはゴッホが描いた様な教会の建物があり、塔の部分が展望台になっていて丘からの景色を望むことが出来る。さまざまな手作り体験教室、ゴーカートを初めとした遊園施設、海を眺められる入浴施設などもあり、一日のんびりと楽しめる。
三崎漁港では、地物の新鮮な魚が楽しめる。ゲスト用の有料桟橋(水中観光船や島への渡し舟の発着所にもなっている)の横に「
うらり
」という大きな直産センターがある。何店もの海産物屋さんがテナントとして入っていて、どこの店でも名物の「三崎マグロ」をはじめとする新鮮な魚介類や海産物が買える。この施設の一画では「マグロのメンチ」も売られていて、はじめて食べたときは美味しさに驚いた。’01年のオープンであり、この施設にはもう何度か立ち寄っているが、何度寄っても飽きることが無い。活気のある市場での買い物がお手軽に体験できる。港を海岸側へ戻ると高級割烹の老舗を初めとして何件もの食堂があって、シノギを削っている。刺身定食やマグロ丼など、魚介を使った日本料理が楽しめる。
他にも、イルカやアシカの楽しいショーが見られる油壺(あぶらつぼ)マリンパーク。その先には、歌で有名な風光明媚な「城ヶ島」など、いろいろな観光拠点がある。油壺のパーク下の磯から城ヶ島の桟橋までは陸路のバスだけではなく水上バスも出ている。その船は城ヶ島の桟橋に着く前に島の周りを少し周るので、島周辺の遊覧も兼ねて海上から眺める風景を味わえる。安上がりにしかも楽しく移動することが出来るお勧めの選択だ。なお、城ヶ島へは三崎漁港からの路線バスや渡し船も出ている。
「三崎口」駅の周りには何も無いが、そこから上に書いたような有名な観光地へ向けて路線バスが縦横に出ている。
さて、今回の三浦半島。のんびりと路線バスに揺られて「岬めぐり」をしてみる事にした。
剱崎(つるぎざき)へは、マグロで有名な三崎漁港のある「三崎口」駅からのバスか、または一つ手前の「三浦海岸」駅からのバスに乗って行くことが出来る。
剱崎(つるぎざき)は、確か私は「剣崎(けんざき)」として覚えていたように思う。どちらの呼び方でも大丈夫のようであるが、「つるぎさき」が正式の呼称らしい。
「三崎」へは毎度出かけているし、そこから剱崎へ行くためには途中でバスを乗り換えなければならないはずだ。最初に三崎へ向かって、「城ヶ島」へ行って遊んでから剱崎へと戻ってくるという盛り沢山のパターンでもよいのだが、今回は灯台から磯に下りて遊びながら海岸線を歩こうとしている。まずその時間を確保しなければならないし、「浜で波被り」をして遊ぶという約束がある事などを考えると、三崎口からのコースは魅力がいっぱいだが、少し無理があるようだ。諸般の事情を考慮してその選択は止めることにした。
それに、まず「三浦海岸」駅のほうが買出しに便利なのだ。三崎へ向かうバスの運行本数が少なければ、浜で遊んで調整してもいい。そういう判断から「三浦海岸」駅からのバスに乗ることにした。
三浦海岸の駅前にはスーパーが二軒あり、どちらもお刺身が美味しかった記憶がある。そこで軽めのお昼を調達する事にした。それは、我が家の<保険>だ。基本は岬の先の魚港にある食事処の刺身定食を楽しむつもりでいる。ガイドブックには美味しそうなカラー写真で紹介されていたが、そこにたどり着けない場合も考えられるからだ。
丘陵に開かれた畑地のあいだを歩いていく
「三浦海岸」駅から「剱崎(つるぎざき)」行きのバスに乗る。運行間隔は30分に一本の割合だ。
バスは海岸線に沿ってのんびりと進む。車の通りが少ないが、その上に乗降客もほとんど無い。だからグングン走れるはずなのだが、運行時間を調整するためだろうか、速度が30Kmも出ていないようなのだ。海水浴をする人たちがいる浜、幾隻もの小型の漁船が舫ってある小さな漁港(金田漁港)、穏やかに波が寄せる磯の様子など、が車窓越しにゆっくりと流れていく。
長閑な海辺の様子を眺めていると、なんだか眠くなって来る。平坦だった海岸線の道から小高い丘を登って、駅から20分少しで終点の「剱崎バス停」へ到着した。行き止まりという事ではなく、道はこの先も城ヶ島や油壺へ向かって続いているが、ここが終点だ。バスは駐車場のような場所で方向を変え暫く留まっていたが、やがてやって来た道を戻っていった。
バス停の周りには、地物の美味しい魚が楽しめそうな割烹料理屋と居酒屋風の食堂の二軒、それに、ちょっとした日用品や飲み物などを売っている釣具店があるきりで、周りは数件の民家のほか何も無い状態だ。その釣具店でアイスを買って、目指す灯台への道を尋ねた。畑地の間の細い道を抜けて岬の丘陵上を進んでいった先に灯台があるらしい。
25分程だろうか。きつい日差しの照りつける乾いた畑の間を歩いて、やっと集落に着いた。灯台へ行く道と漁港へ降りる道とが、その集落の入り口のところで二手に分かれていた。(ガイド・ブックではバス停から灯台までは15分と書かれていたのだが・・・。)
そこから夏草が密生する幅の細い石畳の通路を200mほど歩いて抜けると、急に風が通ってきた。そこが岬の突端であった。目の前に白く光る灯台が静かに現れた。
剱崎(つるぎざき)灯台は、塔の中に入って見学することは出来ない。だが、敷地の門は閉ざされている訳ではなく、そのまま中へ入れてしまう。ちなみに、この灯台は「第三管区海上保安本部(横須賀航路標識事務所)」の管轄だ。
あえて「立ち入り禁止」と表示されている訳では無いが、航路維持のための重要な保安設備であるから、本来は勝手に立ち入ってはまずいものだろう。施設の運用上、訪問する各人の良識を信じて、立ち入りのさじ加減は任されているのかも知れないが、その辺りの扱いがどうなっているのか、実は良く分からない。
この灯台は開港条約に基づいて1871年(明治4年)に初点灯した。維新直後には、もう洋式灯台として機能していた事になる。横浜港や東京港に至る浦賀水道の重要な拠点であった。大正時代の関東大地震で倒壊して、現在は二代目の建物となる。イギリス人技師「ヘンリー・ブラントン」の設計であるが、彼は他に石廊崎(いろうざき)や犬吠埼(いぬぼうざき)など25に及ぶ日本各地の灯台を設計している。そうした歴史的背景のある灯台だ。
灯火の位置は海面上41mであるが、岬だけでも海面から30m程ある。そのため敷地からの見晴らしは絶景で、「観音崎(かんのんざき)方面や対面の房総半島など、東京湾がまさに一望できる。そして灯台の左側の崖縁に立つと、すぐ下に「間口湾(間口漁港)」の静かな入り江の様子がミニチュアのように見下ろせる。
港をスケッチしたかったが、この後歩く予定がある。
そう思ってあとで実行して旨く行ったためしが無いが、
スケッチを起こせるように写真に撮って置こう。
灯台の静かな敷地で、休憩する。
「三浦海岸」のスーパーで仕入れて
氷で冷やしておいたミニ・トマト。
それに私は缶チューハイで一休みだ。
間口漁港の反対側、灯台を挟んで右側からは「三浦岩礁の道」が城ヶ島方面へと続いている。灯台の敷地入り口脇から岬の斜面を下る遊歩道が整備されている。
後で調べてみると、「岩礁の道」は各地を歩く場合にいつもお馴染みになっている道の一部であった。それは
埼玉
・
神奈川
・
東京都
・
千葉
に展開する「関東ふれあいの道」だった。
あれ、ここもそうだ、と行く先々で頻繁に思っていたが、良く調べると房総の海士有木(あまありき)
(2006.09.02 小湊鉄道 「房総ふれあいの道」を歩く)
や金谷の鋸山
(2007.05.20 鋸山ハイキング)
や保田の海岸線、秩父・吾野方面
(2007.05.04 天覚山からの縦走)
、また、高尾山
(2007.04.07 裏高尾を登る―穀雨)
、奥多摩
(2006.09.23 高水三山 「山は花でいっぱい」)
、さらに丹沢
(2008.04.20 穀雨の丹沢を行く)
などの場所、ようするに私が歩いている方々の道が、皆、広大な「関東ふれあいの道」の一部だ。
磯の石は侵食されていて、
ごく小さな穴が沢山開いている。
岩礁を進むうちに、
やがて、この造形の理由がわかる。
岬から降りきった所に「矢の根井戸」の跡地がある。弓の名手・源為朝(みなもと ためとも;源頼朝の叔父)ゆかりの場所との案内版がある伝説の場所だ。
この辺りは湿地帯であるらしく、板を渡した簡単な木道が整備されている。それを伝っていくと岩礁の磯へ出られる。海が穏やかな状態であれば、海岸線の断崖下に広がる石畳の上をずっと歩く事ができる。
今回の旅行では、「岬めぐり;岬上の灯台を見学する」とともに、「海岸沿いの磯を巡り歩く」という目的もある。
海の無い群馬県出身の私は、その後も海の無い埼玉県で暮らしている。だから、海や港、船といったものに親しんだ記憶が無いが、それで一層、見はるかす水平線や打ち寄せる波、などの海に対する憧れを掻き立てられる。
剱崎(つるぎざき)から、半島南端の入り江である「江奈湾(えなわん)」に向かう。そこには「松輪(まつわ)漁港」があり、目指す刺身定食の店がある。その目的地へ向かって「
三浦岩礁の道
」を歩くのだ。
海岸線は屹立した崖であり、その下は岩礁地帯だ。大潮などで潮位が高い場合はわからないが、浸食が進んでいる崖の下は平坦な岩畳になっていて、注意すればずっと波打ち際を歩くことが出来る。
海面上に現れている岩礁は、場所によって信じられない程の広さがあり、体育館やサッカー・グランドが余裕で採れそうなところがある。崖の部分から波打ち際までが50mほどはありそうだが、そういう場所では浪打際までいって眺めてみたり、潮溜まりのポケットを観察したり、下の写真のようなごく小さな入り江に打ち寄せる波をながめたりして、楽しく歩くことが出来る。
「剱崎(つるぎざき)」バス停の手前の「松輪(まつわ)」バス停で路線バスを降りて、1.4kmを歩いて「大浦(おおうら)海岸」に出て、そこからこの道に入るコースもある。しかし、それだと剱崎に出るまでに大分時間が掛かるようだ。
「大浦山海蝕洞穴」があり、弥生時代の土器や勾玉が出土した古代人の遺跡を観ることができる。そして、そのコースだと、大浦海岸、間口漁港、剱崎と海岸線の波打ち際を巡るかたちとなり、灯台を海岸面から見上げる事ができる。
剱崎から先の江奈湾の入り江にある「松輪(まつわ)海岸」までの間にも、岸壁には多くの浸食洞窟がある。この磯の岩礁を歩くと大小さまざまな洞窟を実に間近に観られる。
部屋ほどの小さなものから船が仕舞えるほどの大きなものまで、その規模や景観は様々で、実に変化に富んでいる。
歩いているのは岩礁の比較的平坦な部分であるが、こうした洞窟はその奥の岸壁にある。岩礁地帯を通り抜けて一体どのように浸食されてこれだけの規模の穴が空いたものなのだろうか。ちょっと想像できない。
子供が拾った石の中には、簡単に砕けてしまうものがあった。そうしてみると、この地層は元々、堆積した土壌が固まって出来た岩盤であったものだろう。太古、そうしたものが断層や隆起によって変化して、地表に現れたものと思われる。良く観ると多くの地層が斜めに走っている。
その状態で波の浸食を受けて、岩の柔らかな部分が削られたのだろう。岩礁の先端(波打ち際)を見ると岩が斜めに突き立っている。それは太古の大地のドラマだ。活発な地殻変動と絶え間なく打ち寄せる波のエネルギーとが、この独特の奇跡的な景観を生んだ。しかもこれだけの規模なのだ。出来る過程を想像すると、なんだか、茫洋とした気分になってくる。
岩に開いた小さな穴の正体。
それはフジツボの仕業であった。
幾つかの洞窟を横手に眺めながら岩礁を進んだ。
もう、歩き始めて一時間近くが過ぎたろうか。
ガイドブックにはすっと先の松輪魚港までが25分とある。別に休憩した訳ではないが、写真を撮ったり、潮溜まりを覗き込んだりしていたのは確かだ。しかし、ガイド・ブックのコースの記述自体にそもそも嘘があるようだ。後で調べたら、
三浦市のコース紹介
では大浦海岸から間口漁港、剱崎、江奈湾、毘沙門、盗人狩、宮川湾、のコースで合計11kmの歩行距離、4時間の行程となっていた。だから、大浦から剱崎までが一時間、剱崎から江奈湾までが一時間というところが標準的な所要時間だろう。
少し大きな入り江に出た。数隻の船がその浜に打ち上げてあるが、そこはまだ目指す「松輪漁港」ではないようだ。
静かな忘れられたような入り江で、船外機を付けた数隻の小さな魚船が浜に上げられている。静かに波が打ち寄せるこの湾の浜は、砂と貝殻が細かく砕けた状態の美しいものだった。
何箇所か実に綺麗な潮溜まりがあって、そこには沢山の小さな魚が泳いでいた。注意して覗いていたら魚のほかに貝やカニ、海老〔ヤマトヌマエビに似ていた)も数匹、見つかった。
何軒かの家があったが、昔は釣り船宿として民宿を営んでいたのかもしれない。今はどのように暮らしているのだろうか。
家の傷みから想像すると宿はもう止めていて、海釣り客への貸し舟を営んでいるのかもしれない。自らも船を出して網を引いて魚を獲るのだろう。エンジン室を持った年季の入った船が一艘だけ留めてあった。
ハイキングで低山を歩いていると山の奥で隠れ里のようなひっそりとした集落に出会う事がある。
ほんの数軒の古い家屋が斜面を巧みに開いて建っている。そうした場所では林業が生業なのだと思うが、自然に密着した、けれども穏やかで豊かな生活が垣間見えたりする。庭先には季節の花が溢れ、屋敷の周辺には栗や柿、林檎、梅やいちじくやなどの果実のなる樹木が植えられている。こうした集落を三時過ぎくらいの午後の時間に通ると、大抵は風呂の用意をしていて、香ばしい薪木の匂いが漂ってきたりする。
この入り江での生活はどうだろう。
私が山間で目にするものときっと同じなのではないだろうか。山の自然も厳しいが、海はもっと過酷であろう。
春や夏の山が人に優しいのと同じく、凪いだ海は優しそうだ。一転、牙を剥けば凄まじい激しさを現すだろうが、豊穣の大地―この場合は海であるが―に根付いた潤いのある確かな生活がそこにあるに違いない、と思う。
浜に上げられた年季の入った漁船を見ていたら、この船や周りの様子を油絵で描きたくなってきた。
「小さな港」なのだが、こうした場合はなんと呼ぶのだろうか。「港」以外の呼び名があるように思うが、良くわからない。
この「小さな港」を後に、また岩礁の道を行く。
どこか適当な場所を探して休憩することにした。入り江は南側に向かって開けていたので、日影が無い。潮溜まりで道草をしながら、日陰になる場所まで海岸を進む。
やがて、岩畳が広くなって、断崖が突き出た場所に出た。先ほどの入り江を外れて、少し外側に回り込んだ格好だろうか。岩陰になっていて、海からの風も良く通る。爽やかな場所が見つかったので、この場所で休憩することにした。
すでに一時間少しが過ぎて昼に近い時間になっている。ここで買い込んだお寿司を食べることにした。我が家の「保険」が利いたという事だ。
スーパーで買ったのは、ミニ・トマトが沢山入ったパック、魚肉ソーセージ数本、たこの唐揚げ、絹ごし豆腐一丁、缶チューハイ、それに美味しそうだった鯵の握りとイカゲソの握りだ。握り以外は言わば「おつまみ」であり、おやつなのだ。だからご飯としては「握り」だけだが、美しい磯の様子と海の景色と潮風という、普段味わえないご馳走があるので、これで充分だ。
少し大きな平らな岩をテーブルにして、青い海を見ながら食べた。本物の太平洋の潮騒や波の音がBGMという贅沢なランチになった。しかも、人の姿がほかに無く、実に静かだ。
握りのお寿司はどちらも大変美味しかった。海は、いい。
この時点で十分満足してしまった。実は、私としては目的地はもう、どうでもよくなってしまった。
さて、食事の休憩が済んだので、また「岩礁の道」を歩こう。
先ほどの入り江の家があるほうに向かって行って、その先に見える丘を上れば、車道に出られるのだろうが、それではつまらない。だから、食事は済んでしまったが「松輪漁港」のある「江奈湾」までは歩くことにした。
日差しが大分強くなってきたが、潮風があるので大丈夫だ。この暑さでは浜で遊ぶのははつらっかったかも知れない。
歩いている岩礁には、やはり潮溜まりが方々にあって、覗くと貝や魚が見つかる。
歩きはじめで見かけた、小さな穴が沢山開いた岩が不思議であったが、多くは「フジツボ」による侵食によるものであった。集合住宅のように、沢山のフジツボが寄り集まって自分の体にぴったりの穴を開けている。そうすると、はじめに見つけた穴だらけの岩は、本当は住宅ではなく「墓地」といったところであろうか。
硬貨よりもう少し大きな縦長の穴もある。それは「シャコ」によるものだ。途中のいくつかの岩で、カブトガニの甲羅のような鎧状のものが岩にめり込んでいるのを見かけた。最初は判らなかったが、すし屋で見かける「シャコ」だと気がついた。採って食べて見れば良かったが、ウニやホヤなどを見つけたときと同様に、なかなか食べるということにまで思い至らない。
食事から30分程、遊びながら歩いたら、港がうっすらと見えてきた。
岩礁が終わって、草原にでた。民家や加工場や倉庫など、何件かの建物の間を抜けていく。目的の「松輪漁港」に着いた。地図では小さな感じだったが、思いのほか大きな港だ。沢山の船が係留してある。
漁協がある中心部までいっても仕方が無いので、バス通りに出たところからバスに乗って戻ることにした。もう少しこの港でゆっくりしても良かったが、「磯」で遊んだ次は「浜」で遊ぶ約束だった。
ここからは三崎方面行きのバスに乗れるが、バス停の時刻表を見ると本数が少なく、次が来るのが40分後だった。バス停前に飲み物を売っている店があったので、ペットボトルを仕入れてバス停の所在を聞いた。「坂道を5分ほど登ると三浦海岸へ向かうバス停に出られる」との事だったので、もうひと頑張りして坂を上った。疲れていたせいか、ここでも5分より掛かってしまった。
坂をよいこらと上った先に現れたのは、来たときに降りた「剱崎」のバス停であった。図らずも三時間あまりして、もと来た場所へ戻ってきた。
どうやら、コースガイドの「剱崎より松輪漁港まで25分」という所要時間の表記は、磯の岩礁を歩くのではなく、バス停からそのまま車道を歩いた場合の時間であったらしい。
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長野 美容整形