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2008.08.22
観音崎(かんのんざき)灯台へ

アクセス;
 京浜急行―馬堀海岸駅より京急バス:観音崎バス停下車にて徒歩

カメラ;
 PENTAX K10D

レンズ;
 PENTAX DA18−55mm F3.5−5.6 AL
 PENTAX DA50−200mm F4−5.6 ED
 PENTAX FA43mm F1.9 AL Limited
 PENTAX A100mm F4 デンタルマクロ



 三浦半島での岬めぐりの二日目だ。

 今日は、日本最初の洋式灯台である「観音崎灯台」へ行く。

 幕末維新にかけての歴史の町、「浦賀(うらが)」からバスで観音崎へ向かうが、灯台のあるこの岬一帯は実に大きな公園となっている。総面積は実に67ヘクタールだ。
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公園の入り口

 剱崎(つるぎざき)灯台(2008.08.21 「剱崎灯台(三浦)」)で書いた京急の「三浦半島2DAYきっぷ」が活躍する。このお得な企画切符で乗下車自由のフリー区間を列車と路線バスで移動する。

 健保の宿泊施設がある「三浦海岸駅」から「横須賀中央駅」へ向かい浦賀方面への列車へと乗り換える。横須賀迄行ってから少し戻る形になるが、浦賀駅の手前の「馬堀(うまほり)海岸駅」で下車し、そこから路線バスで岬へ向かう。

 駅前から「観音崎(かんのんざき)」行きのバスに25分ほど乗って終点まで行けば、そこが広大な公園の入り口だ。

海岸線は遊歩道が整備されている 磯へ出てみよう
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潮溜まりを観察する ヨットが走る

 岬一帯が自然公園になっているので、ゆっくりと遊ぶことができる。

 広いエリアを徒歩で移動するが、潮風を楽しみながら海岸線を歩いたり、岬上にある色々な施設(「海の見晴台」「花の広場」「海の子砦」、ゴジラ上陸の足跡がある「自然博物館」、「ビジターセンター」「東京湾海上交通センター」)を見学したり遊んだり、半日は「のんびり」しようと思っている。

公園の磯
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 「馬堀海岸」には京急の瀟洒なリゾートホテルである「観音崎京急ホテル」がある。そのためか海岸の直線道路にはマリーナもあり、美しく街路樹が植えられて整備された海岸通りはリゾートの雰囲気が味わえる。

 京急のホテルで海を見ながらランチ、というのも洒落ている。その通りの終わりがこの公園の入り口だから、少し距離があるが散歩の足を伸ばしてもいいかもしれない。

浦賀水道 子供にもスケッチを勧める

 公園の入り口近くにある磯からは、浦賀水道が目の前に見える。東京湾の主要水路なので、大型船が盛んに通る。それが、ここから眺めると間近に眺められる。

 大きな岩に腰をおろして、湾上をいく船を眺めていると、なんともいえないゆったりとした気分になってくる。公園には着いたばかりだがここで休憩してスケッチする事にした。

 遠近感が判らないので、交差する大型船があたかも衝突するのではないかと思えてくる。

スケッチした磯
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磯の様子 磯の岩畳(水平線が見事)

子供のスケッチした磯の様子

 私がスケッチしている間、子供は用意した「冷やしたきゅうり」を食べて寛いでいたが、スケッチを勧めてみた。

 私の絵を見せてしまうとそれが絵の先入感となってしまうので、それをしなかったが、打ち寄せる波と磯に広がる岩を上手く描いたようだ。

 水平線が完全な曲線で、多分、子供にはこうした広がりで海が見えているに違い無い。波間に見え隠れする岩の様子もよく表現されている。
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権現洞

 観音崎のいわれとなった、「権現洞」だ。三浦海岸の道海蝕洞窟と同じものだ。

 奈良時代の僧侶で諸国を巡った「行基(ぎょうき)」は、貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動し多くの実績が残っている。建てた寺だけでも49院という伝えもある。この数字が仏教数なので、少し疑問も残る数字であるが八面六臂の活躍をしたらしい。一時期、朝廷から弾圧を受けるが、後に天皇と会見して「大仏建立」の勧進に起用され、日本初の「大僧正」の位を贈られている。

 行基が発見した数々の温泉や、掘削指導した貯水池、整備した港など、多くの事跡が今に残っている。主に関西(奈良時代の関東は葦の茂る異界であったと思う)で活躍しているので、この地に残っているのは本当の伝説だろうと思う。

 『諸国修行の途中、この洞窟に住んでいる大蛇が漁民や運漕の人々を苦しめているのを聞き、大蛇を退治してその霊を鵜羽山権現として祀った』という。
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観音埼灯台(地名は観音崎)

 1869年(明治2年)に初点灯した日本最初の洋式灯台。

 岬の地名は観音崎だが、灯台の正式名称は「観音埼灯台」であり、<崎>の字体が違う。

 関東大震災などで倒壊し、現在の建物は三代目になる。灯台の灯火までは12m、海面からの高さは56mとなる。だから、海岸線の遊歩道から灯台へ行く場合は45m余りを登る事になる。

灯台への崖道 灯台への崖道
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 観音埼灯台へは、公園の遊歩道を海岸に沿って歩く。

 灯台のある岬下から、つまり海抜数メートルの地点から九十九折の坂道を登っていく。何度も折れ曲がって高度をまして行き、急に明るくなるとそこが岬の頂上だ。

 勿論、公園内の遊歩道は海岸線だけではない。灯台へと続く遊歩道は山側にもあって、岬上に展開する施設から灯台へと出ることも出来る。そうすれば、登りはもう少し緩やかで、この急登から比べると楽が出来るだろう。

灯台への道


苔むした道を登っていく。
観音埼灯台
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 この灯台は内部が見学できる。

 それに灯台の横には元気なおば様が受付をする博物館風の資料館が併設されている。灯台の仕組みの解説や、日本の灯台の歴史の紹介、東京湾の水路について、などが学べる。僅かな金額だが有料で、灯台の見学とセットになっている。

 私は「高所恐怖症」なので入るのを止めたが、さすがに岬上(海上からは56m)の灯台の頂から外に出て手摺越しに展望する東京湾の景色は絶景であるらしい。

観音埼灯台
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観音埼灯台 灯台脇の藪にさいていたカラスウリ

 家人と子供は連れ立って灯台を登っていったが、下から見上げるこちらが怖い感じがする。

 東京湾と内房が見渡せ、対岸の富津(ふっつ;千葉県)にある灯台が見えたらしい。ちなみにここから富津までは僅かに約7Kmの距離しかない。

観音埼灯台
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灯台下の様子(子供撮影)

 「外部に出たら足元を鳥が飛んでいた」というのが最初に聞いた感想だ。

 岬なので「とんび」が盛んに飛んでいた。確かに風に巧みに乗って緩やかに飛んでいたとんびは、みな灯台の灯火の位置より下の空を舞っていたのであった。

富津の灯台(子供撮影) 灯火のフレネルレンズ(子供撮影)
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灯台脇 観音埼灯台(山側から見る)

 この神奈川県側の観音崎と千葉県側の富津・金谷(2007.05.20 「鋸山ハイキング(浜金谷)」)の間は東京湾の最狭部だ。

 このため、首都防衛の要となる湾を睨んだ砲台が両所にあった。千葉の金谷に屹立する「鋸山(のこぎりやま)」の山頂近くには、やはり陸軍の砲台跡が残っている。東京湾を見下ろす絶好の射程が望める。この観音崎も同じだ。湾上をいく異国の船舶が標的になる。灯台のある岬の突端から少し下がった場所に巧みに砲台が築かれていた。

 東京湾上の最終拠点としては、陸岸から程近い場所にいくつもの台場が築かれている。「お台場」は元々、幕府が構築した湾上の砲台拠点で、軍事基地だ。今も「第xx号台場」という名前で幾つかが残っていて、水上バスで移動すると石垣の遺構を間近に眺めることが出来る。

 幕末には外敵から江戸を守るため、「攘夷(じょうい)」)の要として幕府が用意したものだ。切れ者の浦賀奉行(遠国奉行の一つで新潟や下田や長崎などと並ぶ奉行職)の支配下において統括した。

 江戸時代後期にいくつもの砲台が岬上に構築されたらしいが、ここに残っているのは明治に陸軍基地として築かれた砲台跡と弾薬庫跡だ。

砲台跡と弾薬庫跡
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 レンガ積みの倉庫跡は通路になっていて、そこを潜る事が出来る。

 砲台跡と弾薬庫跡を後にして、公園の入り口へと戻ることにする。山道へ戻って、岬上を回りながら戻ることも出来るが、下ったところにあるトンネルを通っていくと近道が出来る。道路脇を通ってトンネルを抜ければ、「少年の家」の脇へ出て、すぐに公園入り口のバス停になる。

 トンネルを歩いているうちに、妙な感じになってきた。

 黒澤監督の映画で「夢」と言う短編のオムニパスものがあるが、その中のエピソードのイメージが湧いてきた。

 復員兵の様子の寺尾聡が大きなザックを背負って軍服のまま山道を歩いている。戦場から無事に生き残って、故郷を目指しているのだと思う。山間の道を行くとやがてトンネルが現れる。トンネルからはざくざくと軍靴の音が聞こえてくる。やがてその響きが大きなものとなり、沢山の兵士達が姿を現すのだ。中隊規模の人数で、足音を響かせて行進し、やがて整列する。寺尾は兵士ではなく中隊長クラスの将校だった。兵士たちはみな死者の形相なのだ。彼らが現世にとどまってはいけないことを主人公が諭し、やがて苦渋の表情を残して足音を響かせトンネルの中へと戻っていく。ざくざくざく、と響く靴音が印象的であった。

 背にしたリュック脇につけたレジ袋が歩くと揺れて、ざくざくとした音を立てていた。大きくは響かないが、トンネルなので私の耳には残響が残る。やがてそれが、短編映画のイメージとして浮かんできた。私の後を兵士たちが歩いてくる。

 戦時中の軍事拠点で一帯が立ち入り禁止となっていた際の様子を想像した事や、先の砲台跡での印象などが引き金になったらしい。

 少し、怖い思いをした。

浦賀水道(横須賀が近いので護衛艦が行く) 帰りのバスから見る京急のマリーナ
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