観音崎のいわれとなった、「権現洞」だ。三浦海岸の道海蝕洞窟と同じものだ。
奈良時代の僧侶で諸国を巡った「行基(ぎょうき)」は、貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動し多くの実績が残っている。建てた寺だけでも49院という伝えもある。この数字が仏教数なので、少し疑問も残る数字であるが八面六臂の活躍をしたらしい。一時期、朝廷から弾圧を受けるが、後に天皇と会見して「大仏建立」の勧進に起用され、日本初の「大僧正」の位を贈られている。
行基が発見した数々の温泉や、掘削指導した貯水池、整備した港など、多くの事跡が今に残っている。主に関西(奈良時代の関東は葦の茂る異界であったと思う)で活躍しているので、この地に残っているのは本当の伝説だろうと思う。
『諸国修行の途中、この洞窟に住んでいる大蛇が漁民や運漕の人々を苦しめているのを聞き、大蛇を退治してその霊を鵜羽山権現として祀った』という。
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