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2009.09.27
箱根の初秋を楽しむ

アクセス;
 箱根湯本;小田急線

カメラ;
 PENTAX K−10D
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm

レンズ;
 PENTAX DA18−55mm F3.5−5,6 ALU
 PENTAX DFA100mm F2.8 MACRO

 箱根へは、JR東海道線で「小田原」へ行き、そこから「箱根湯本」へ向かう箱根登山鉄道線を利用する。

 東京駅よりも新宿駅のほうがアクセスが良い場合には、新宿が小田急の始発駅なので、湯本直通とする順路もある。あるいは各駅出発の高速バスを使うとか、いずれにしても歴史ある観光地なので、いろいろな経路を選ぶことが出来よう。

箱根へ向けて ロマンスカー最新型

 「小田急」は小田原急行だが、箱根を縦横に楽しむための多様な割引チケットが用意されている。

 バス路線をメインにした「足柄ハイキング・チケット」や箱根周遊に便利な「箱根フリーパス」などがある。フリー切符であれば、2日間存分に楽しめる。

 箱根は古くからの観光地なので、見るべきところが多くて出来れば連泊したいところだ。その場合3日間有効なフリーパスもあって、2日間用との差額は僅かに500円。あれこれ乗車することを考えると抜群のパフォーマンスを持っている。

ロマンスカーの車内
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箱根湯本(早川) 新宿、朝9時発のロマンスカー。土日の「スーパー箱根」なら「箱根湯本」までの停車駅は「小田原」の一つだけで、最短時間で到着する。(平日はスーパーxx便はない)


車両も最新型で、内装が良く落ち着いている。
振動や騒音もほとんど無い。

 箱根の山は天下の険♪

 「箱根湯本(はこねゆもと)」からの線路は急峻で、<登山鉄道>はそのため数回のスイッチバックを繰り返す。三両編成の前後車両での高低差が3.6メートルにも及ぶ急勾配を登るそうだ。 こうした事は車内に流れるテープのアナウンスで得られる知識だが、実際の体験中に聞く話なので判りやすい。車内の人達は、方々で頷いたり嘆声を上げたりしている。

 この鉄道は、初夏の頃の紫陽花の咲く情景で有名なものだ。ゆっくりとしたスピードで斜面を登っていくが、終点の「強羅(ごうら)」までの沿線には紫陽花がずっと植えられている。

 満開の紫陽花の間を走るレトロな赤い車両をポスターなどで眼にした人も多かろう。

 登山鉄道はそんな箱根の急勾配を登るので、速度は面食らうほど遅い。これを単に「移動」と考えると精神的に宜しくない。イライラしたりダルかったり、気がもめる。だから、この列車のアナウンスに耳を傾けてのんびりと車窓からの景色を楽しもう。むしろ景観を楽しむためのアトラクションと考えた方がいいようだ。
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 登山鉄道から降りて、「強羅」から「早雲山(そううんざん)」までは、これまた二両編成の列車を利用する。今度の仕組みは<ケーブルカー>だ。 幾駅もなく終点になるが、途中には西洋式の庭園が有名な「強羅公園」などがあり、こちらも、緑美しい林を横目にして急な勾配を登っていく。

 さて、そこからは<ロープウェイ>の登場だ。途中の「大涌谷(おおわくだに)」で別線へ乗り換える。ロープーウェイは大型なので揺れは無く安心して乗っていられる。懸垂される客室は新しく、大きく全面に窓が開いている。床面と天井、フレームだけが視界を遮っていて、他はガラスなのでほぼ開放状態で360度、視界が開ける。

 私は「高い空間」が苦手だ。高くても地面があれば平気なのだが、空中、オーバーハングした岩場、断崖などが駄目なのだ。スキー場のリフトのように近い位置に地面があれば、空中であっても少しは平気なのだが・・・。

 だから、このロープウェイの大涌谷へ出る瞬間が鬼門で、まともに下を見られない。千葉の金谷にある「鋸山(のこぎりやま)」のロープウェイも索道の位置がやたらに高くて、やはり震えてしまう。

ロープーウェイからの大涌谷 眺望を楽しむ
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大涌谷 大涌谷

 ロープーウェイは「大涌谷」での乗り換えとなるが、ここでは必ず下車しなければならない。直ぐに次の線へ乗り継ぎになるのだが、そのまま乗らずに一旦駅を出て周辺を散策する人が殆どだ。駅横の展望台から硫黄の噴煙が上がるパノラマと名物の旨い物(2009.09.27 「箱根 秋を楽しむ」:黒たまご)が楽しめる。展望台は高い位置にあるが、ここなら地に足が着いているので安心だ。

 谷間から硫黄匂いのする煙(水蒸気?)が噴出していて、独特の景色が雄大に展開するのを楽しめる。遊歩道が巡っていてるが、崩落があって道の一部が閉鎖されている。しかし今も噴出口への往復だけは出来るようだ。

 この硫黄の匂い(2009.09.27 「箱根 秋を楽しむ」;黒ピーナツ)は昔はもっと強かったように思う。35年も前の話だが、食べた「黒たまご」も硫黄の匂いがした覚えがある。(今の黒たまごはまるで匂わないので安心だ)

大涌谷 大涌谷
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桃源台へ

 途中の「姥子(うばこ)」で索道を曲げている仕組みだが、そこで途中下車することが出来る。降りてからはまた乗車も出来るし、そこから湖までハイキングも可能だ。

 「大涌谷・湖尻自然探勝歩道」がそれで、姥子から「桃源台(とうげんだい)」まではなだらかな坂が続くので楽に歩ける。

ロープウェイなら、8分で着くが、徒歩では40分ほどが必要だ。以前、子供がまだ幼稚園の頃に歩いた事がある。コースは平坦で楽だし、樹林を縫う道なので自然を存分に満喫できる。

 園児の頃は普段も良く歩いていたし、休日は何時間も歩いていた。当時、家では「中仙道、歩け歩け」といって一回に京浜東北線をニ駅づつ歩いて、大宮から板橋まで行ったりしていた。また同じく園児の頃に「高尾山」を自力で登れた程で、今よりむしろ長い距離を歩けたかも知れない。だからなのか、コースをゆっくりと歩いたがそれでも一時間少しで湖に着いた。

 慣れていればその程度の時間で歩ける自然溢れる散歩道だ。しかし、歩くことへの慣れもあろうから、年少の子供と歩く場合にはもう少し時間の余裕を見たほうが良いかもしれない。
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海賊船

 ロープウェイを乗り継いで「桃源台(とうげんだい)」へ出る。箱根外輪山を望んだ火山カルデラ湖である広大な「芦ノ湖(あしのこ)」観光の起点となる場所だ。

 そこから<海賊船>に乗って湖を渡り、さらに「箱根町」へと向かう。

 船は650名乗りの大型なもので二隻あったが、2007年に新型船「ビクトリー」号が追加された。イギリスの歴史的な戦艦を再現したそうで、良く雰囲気が出ている。

 ビクトリー号は、有名な「トラファルガーの海戦」で英国に勝利を導いたネルソン提督の乗艦だ。他にも多くの海戦をくぐった栄光を記念してポーツマスに保存されている。
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海賊船 芦ノ湖

 箱根観光は、新宿から小田原・箱根湯本までの<小田急ロマンスカー>を含めると、実に多様な交通機関を楽しめる。

 移動は長時間になるがさほど飽きずに済むのは、いずれの乗り物も車窓からの景色を充分に堪能できるからだ。

 新宿を朝9時発のロマンスカーで出発したが(だから「さいたま新都心」を出たのは8時前)、箱根町へ着くのは午後の2時を少し過ぎる頃だろうか。ロマンスカーでの乗車時間が1時間20分、登山鉄道で50分、ケーブルカーで20分、ロープウェイで8分+16分、船が30分。

 ロープウェイだけが順次乗車となっているが、それ以外はそれぞれに出発時刻があるので、所要時間に加えて待ち合わせの時間が必要になる。

 それに乗り換えの要所で休憩や道草をするので、それらがプラスされ、目的地へ着くのはそんな時間になってしまう。
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芦ノ湖からの眺め 箱根の関所へ

 湖畔で食事をするつもりでマークした店に着くと、丁度オーダーストップ(2時40分になっていた!)だった。 箱根のガイドブックに載っていた「せいろ料理」で野菜や肉が楽しめる人気の店だ。昼食をとる時間が少しずれても食べたいと思っていたのだが、残念なことをした。

 仕方が無いのでお土産屋さんなどを冷やかしながら散歩し、イカ焼きやつくね串、飲み物やその他(その他といっても私専用の飲物だが)など、色々買い込んで「箱根恩賜(おんし)公園」へ向かう事にする。

 食事自体は差し迫ったものではなく、ロマンスカーの社内でお弁当(2009.09.27 「箱根 秋を楽しむ」:お弁当)を食べたのであまり空腹ではなく、しかも途中の大涌谷では名物の「黒たまご」も食べている。

 さらにザックには、新宿で仕入れておいた非常食のおにぎりとサンドイッチなどがあるので、それで充分だ。
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 芦ノ湖の湖畔での観光施設は色々あるが、成川美術館や旧街道などへは行ったことがあるので、今回は訪れたことが無いこの公園を目的地のひとつにしていた。

 公園は半島上にあって、さらに湖に向かって眺望が開けた高台には展望台などがある。芦ノ湖を望む景色が楽しめよう。食事はそこでのんびりと食べればよい。

 公園へ向かって杉並木の横を歩いて行くと、手前に「箱根関所跡」の一画が現れた。この場所は以前訪れた事があったかどうか、記憶がもうひとつ不明瞭だ。

 有名な寄木細工の実演が見られる店や美味しい饅頭の店(2009.09.27 「箱根 秋を楽しむ」:温泉饅頭)など、国道から関所跡の入り口までには両脇に色々な店があって楽しめる。関所跡の建物はすべて再現したものだが、これらの施設は最近リニューアルされたらしい。

関所跡
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<箱根の関所(東海道)>

 「入り鉄砲(いりでっぽう)に出女(でおんな)」を戒めるための有名な関所は、いくつかの建屋が復元されて見学が出来るようになっている。

 幕府の膝元への武器の流入と、人質である大名の婦女子(あるいは大名自身)の逃亡を防止、合わせて手形により入国と出国を確認した。

 各地にある関所は幕府の出先機関と思いがちだが、実際には地元の大名へ委託していたものだ。

 箱根の関所は譜代の大久保氏(旗本「大久保彦左衛門」の一族)が納める大藩「小田原(おだわら)藩」が所轄していた。小田原藩は藩主は頻繁に入れ替わるが、関所の任務は引き継がれて、その後明治2年まで継続したという。

関所跡 関所跡

 取り締まるといっても、江戸時代当時、大名領での犯罪者は他領に入れば(そこは自藩からは治外法権になるので)捕らわれることは原則としてない。ただし例外はあって、「関八州(かんはっしゅう)」で手配された国定忠治などのお尋ね者(犯罪者)のみが広い地域(関東地区)で追縛される。

 ちなみに関八州とは、相模(さがみ)・武蔵(むさし)・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもおさ)・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)・常陸(ひたち)の国を言い、江戸は「武蔵の国」の内になる。今で言えば神奈川(相模)、埼玉・東京(武蔵)、千葉(安房、上総、下総)、群馬(上野)、栃木(下野)、茨城(常陸)となる。

 「関八州見回り役」という役職があるが、これら八国を巡回して広域氏名手配となった博徒や犯罪者などを捕縛する幕府機関で、勘定奉行の配下となり町奉行配下ではない。警察ではなく財務省配下の役人(Gメン)で暗黒街のギャングを相手としアル・カポネを逮捕した「アンタッチャブル」と同じだ。関八州の無宿人(渡世人)や博徒、武装集団だった侠客を取り締まるには警察とは別の組織が必要だったのだろう。時代と国が違っても状況が同じなら、有効な対応策も同じものになるらしい。

 役職としては同心が8名前後でその任に当たっていた。だから、それぞれの地域では彼らの元で働く「目明し(めあかし)」 − 十手(じって)持ちの親分達 −がいた。多くは地元の勢力ある博徒であり、彼らは善悪「二足のわらじをはいていた」ということになる。

 広域にもかかわらずそれを統括した同心の数は至極少ないが、親分衆の動員人数は大層なものであった。1842年に「国定忠治(くにさだ ちゅうじ)」の捕縛で上州:田部井村(ためがい)に向かった際は総勢300人の縛吏での出役だったという。田部井の地名は今も残っていて赤堀(伊勢崎、桐生の中間)周辺の町だ。(赤城山麓というほど山ではなく、関東平野の最北端というところ)
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関所跡 関所跡

 余談だが、江戸時代の治安は巣晴らしいものだったと思う。当時ロンドンを抜いての世界最大の過密都市だった江戸の町だが、その広く人口の多い地域(都の行政範囲の中心15区ほど)を南北それぞれを与力25騎、同心100名が守っていた。

 南北それぞれの奉行所で月回りの当番制なので実質的にはその数となろうが、正規の警察・行政の役職者はその程度で済んだのだ。しかも巡回や捕縛などの、警察実務に当たった「定町廻り同心(じょうまちまわりどうしん)」はわずか6名にしか過ぎない。

 同数の「臨時廻り」同心と、別に「隠密廻り」同心4名がいたが、それらの総勢でも16名(つまり南北でも32名!)だ。しかし関八州同様に、彼らの下には同心の手付き(身銭で雇った者)である「御用聞き(ごようきき)」-十手持ちでxx町の親分;「三河町の半七」 -達がいた。

 「御用聞き」は八州の「目明し」と同じで町人だ。実際にはドラマなどとは違い、単独で犯罪者を捕縛することは出来ず、象徴の様に描かれる「十手」も持ってはいない。十手は同心以上の武士のみが持てる身分であって、同心以下の者は官吏として奉行所に勤務していても持つことは出来ないものだった。彼らはあくまでも町人で同心の私的雇用人だが、江戸の「御用聞き」はどちらかと言うと親分衆ではなく私立探偵という性質のものだったようだ。探索の任務は独特のノウハウが必要であり、また縄張りや人的な連携や人脈(ネットワーク)が不可欠だったので、多くは世襲であったらしい。大好きな時代小説家の北原亞以子さんが連作している「慶次郎縁側日記」に出てくる「天王町の辰」親分のように下っ引き(したっぴき:配下の探索者や通報者)を数名抱えて世間から隠れて秘密裏に探索の任に就いていたのが正確なところだろう。「銭形平次」親分のようにまるで旅館の受付か商家の帳場のような設えをして、ここにございとばかりに親分家業を大っぴらにはしていなかったように思う。


 さて、東海道の箱根同様、群馬には五街道のひとつである「中仙道(なかせんどう)」の要衝となる「碓氷(うすい)の関所」がある。地名としては「うすい峠の釜飯」といったほうが知名度が高いだろう。(単に「峠の釜飯」といえば、これを指す。) そこは「松井田(まついだ)藩」の領地であり天領(幕府の直轄地)ではないが、箱根と同様に厳しく関東への出入りを改めていたようだ。


 江戸の地で罪を犯したものは関所まで手配が回り、捉えられたようだが、実数はどれほどだったのだろう。

 直ぐ脇には険峻とはいえ難なく身を隠せる山道があり、広大な湖がある。表街道の「東海道(とうかいどう)」を素直に通らずとも、関所は簡単に抜けられそうに思うが・・・。

関所跡 恩賜公園へ
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恩賜公園 天皇からの贈り物

 関所跡を抜けるとそこが目的の「恩賜公園(おんしこうえん)」の入り口だ。

 さて、恩賜公園だが、ここは天皇家の別荘が終戦(第二次世界大戦)後に払い下げられて一般に公開された場所だ。ここは各地にある「御用邸」より格上の「離宮」だった。(赤坂離宮、浜離宮などと同じ)

 芦ノ湖の一画に広大な自然をそのまま残し、半島のいくつかの峰や高台を巧みに利用している。

 高台の頂部には、古い宮殿を模した展望館がある。その一階はここの歴史を学べる資料展示がされ、二階は展望ラウンジとして喫茶店が置かれている。

恩賜公園 恩賜公園
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恩賜公園 恩賜公園

 私の世代にとっては懐かしい顔の顔写真プレートが眼に留まる。その昔、1000円の印象的な肖像として飾られていたのが同じ写真の髭を蓄えた「伊藤博文(いとう ひろぶみ)」だ。(どうも板垣退助の100円札との印象が合成されてしまい、100円が伊藤だったような気がしてしまう。)

 ロンドンにも留学した海外通の明治の元勲だが、彼が企画してこの場所に宮殿を築いた事が説明されている。

 天皇用の広大な和風の平屋御殿と、皇后用の広壮な二階建ての洋風宮殿、山側には兵舎などが並んで立てられ、芦ノ湖や周りを囲む箱根外輪山、富士山を一望する。

高台(展望台)からの眺め 在りし日の離宮
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展望館

 今となっては両方の建物共に無く、それを示す石碑が建つのみだ。

 しかし、皇后用の宮殿の跡地に、それを模した「湖畔展望館」がある。 外観は重々しくて(明治の建築様式調でロマネスク風)大きなものだが、当時の宮殿の規模から比較すると、ほんの僅かに過ぎない。

 バルコニーからは芦ノ湖が望めるが、その先には富士山が見えるらしい。私はバルコニーから遠望して写真も撮ったのだが、うっかりして富士の姿を探すのを失念していた。残念なことだ。

離宮の間取り 展望館のレリーフ
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 太い樹木も多いし、それらの間を縫う遊歩道も整備されている。

 素晴らしい自然が豊富に残って、それらを存分に堪能できる場所だ。半島の突端の見晴台で休憩して、そこから眼前に広がる芦ノ湖をスケッチしてみた。

高台(展望台)からの眺め
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恩賜公園 恩賜公園

 展望館に置かれた地図を見ながらあれこれと相談していたら、係りの人が声を聞きつけてわざわざ出てきて案内してくれた。

 公園を出ると、すぐに<箱根登山バス>の停留所があり、バスを利用すれば「小涌谷」などを通って「宮の下」まで行ける。そこから登山鉄道で「彫刻の森」は一駅だ。しかも、船・ロープウェイ・ケーブルカーを利用しないで直行するため所要時間はわずか20分ほどで済むという。

 予約している健保の宿泊施設は彫刻の森の横なので、5時前には戻ることが出来そうだ。

 親切な係りの人に感謝して公園を後にする。箱根は国際的な観光地で、滲むような親切が味わえる。こうしたところがやはりいいな、と思う。
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車内も寄木細工 車内も寄木細工

 バスが来て、時間通りに「宮の下」へ着いた。丁度、登山列車がホームですれ違いのため停車中だったので、運よく乗ることが出来た。(この駅には数分間停車し、上下線が交差する。)

 乗った電車の型番を見ると100番台で、登山列車内でも一番の古株の車両だった。新型もあるが、大切に利用され続けているレトロな車両も捨てがたい。

 面白かったのは、座席のシートが箱根名物の寄木細工の模様だったことだ。

箱根登山鉄道

スイッチバックする箱根登山鉄道
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 健保の宿(かんぽの宿ではない)は、以前は「宮城野(みやぎの)」にあった施設だが、そこを閉鎖して新たにこの場所を宿泊施設とした。

 箱根は人気が高く、オープンして数年経つが希望しても泊まれたことが無かった。確かに、これだけの規模を持っていて、しかもこの施設(設備や調度)であれば希望が殺到するはずだ。フロントやゆったりとしたロビーやエントランスなど、まるで一流ホテルではないか。

 場所もいい。登山鉄道の駅から近く、すぐ隣は「彫刻の森」だ。保護地域の深い森に囲まれているので静かで、自然環境としても抜群のロケーションにある。 温泉の露天風呂が幾つかあるのでゆっくりと浸かって疲れを取り、翌日さらに箱根の自然を楽しもうとしている。

 これなら、出てくる会席料理(2009.09.27 「箱根 秋を楽しむ」:健保の食事)も素晴らしいに違いない。


のんびり行こうよ: 2009.09.27 「箱根 秋を楽しむ (旨い物)」

のんびり行こうよ: 2009.09.28 「箱根 秋を楽しむす (きが揺れる仙石原、 小田原を歩く)」

健保の保養所 保養所
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