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2006.07.15
与野 夏祭り

アクセス;
 JR埼京線―北与野・与野本町駅

カメラ
 PENTAX Ist-D
レンズ
 Pentax DA18-55mm F3.5-5.6

サブカメラ
  NIKON COOLPIX S3

 (いずれも画像添付時に約30%に圧縮)


 今は人口120万人の政令指定都市「さいたま市」となったが、旧与野市(現 中央区)地区で、は毎年7月15日前後に夏祭りが行われる。

 与野氷川神社(よの ひかわじんじゃ)がこの祭りの中心だ。
 
 この「氷川神社」は近郊の複数の神社が統合(多分明治時代の一村一社運動の影響だ)されており、祭礼の最中は鳥居に八雲神社の額がでる。氷川神社自体は300年ほどの歴史があるらしいが、多分これも古い由緒があるのだろう。私は、この地の「八雲神社」の詳しい由来を知らないのであるが・・・。

 合祀の神社となって、氷川神社の本殿横の祠となってはいるが、与野の地場に根付いた古い神社であったに違いなく、この夜祭も江戸中期くらいの古くから続けられている由緒ある祭礼なのだろう。


「与野 氷川神社(八雲神社)の夏祭り : 2007.07.15:夏の入り口 与野夜祭」のページを表示
「与野 氷川神社(八雲神社)の夏祭り : 2008.07.20:与野、夜祭り」 のページを表示

祭りの朝

照る照る坊主で、晴れを祈願
照る照る坊主、あっという間につくっていた
さあ、みんなでがんばろう
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 昼は、神社を起点として子供神輿が町内をぐるりと練り歩く。
 
 夜は大人の神輿が出るが、与野の旧街道(中仙道)沿いは大宮側からはじまり浦和側に向かって、上町・中町・下町(現町名はそれぞれ別名)と呼び、それぞれに神輿が出て、若衆組がそれぞれの地域の勢いを争う。
 
 近くは喧嘩神輿であったらしいが、今は氏子に限らず担ぎ手を一般から公募している。そのためか、神輿同士が街道で遭遇しても、喧嘩となるわけでもなく互いにその場で揉み揚げるだけで、いたって穏やかだ、

飾り太鼓

低学年の児童や幼児が担当するのは、
このお神輿だ。
低学年の児童や幼児向け。少し重い。
  この日ばかりは特別

  いつもと違い、ジュース 飲み放題

  暑い祭り。ジュースでのどを潤す。
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 子供神輿には、高学年向けの神輿と、低学年・幼児向けの引き物(飾り太鼓)がある。これを曳きながら、町内を3時間弱かけて回るわけだ。
 
 途中何箇所かに設けられた休憩所(地元の企業が後援して用意している)が、実は子供達のこの日一番の楽しみだ。

 そこでは、お代わりが自由なジュースやアイスやスナック菓子、冷えたきゅうりやアンパンなどが振舞われる。

 出発が午後の一時(いつもこの時刻の設定には疑問なのだが)のため、炎天下―16日のように小雨交じりだと救われる―を歩くため、みな最後には脱水状態に近くなる。ところどころの休憩では、いままで曳いていたよりもさらに瞳を輝かせて、こんな元気がどこにあったのかと想うような勢いでそれぞれ休憩所(接待所)で振る舞われるジュースや麦茶、ゼリーやアイスに飛びつくのだ。

 コース(地域の路地)を回ってるうちに暑さで元気がなくなって来るが、自分の家が近くなると、どの子供もひときわ元気を取り戻す。家々の前に出た見物の人を意識するのだ。

弾ける笑い
はじける笑い
 お神輿にあこがれて  
お神輿の細工。思わず触りたくなる
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氷川神社に戻る

ゴールはまじかだ。
町内を回って氷川神社に到着
  戦い終わって
   戦い終わって

   一休みする顔が、少し大物になっている

 そして、ゴールの与野氷川神社の鳥居が見えると、神輿を曳いている子供達も、それらと一緒に歩いてきた親達も、もう安心だ。氷川神社までの最後のひと踏ん張りで、子供達の熱い祭りは完成するのだ。

 親達は、神社で汗まみれの子供を迎える(多くは神輿に付き従って一緒に歩いている)が、そのハイテンションに戸惑い、誇らしげな表情にいつもと違ったまぶしさを感じるのだ。

社殿
 与野氷川神社の本殿
明日に備えて
明日に備えて
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上町

氷川神社のあたりは、<上町>だ。若衆は、町を背負う
大人神輿の出発の準備。
 もうじき、大人神輿の出座