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2008.07.20
与野(氷川神社:八雲神社)、夜祭り

アクセス;
 JR埼京線―与野本町駅、北与野駅

カメラ;
 PENTAX K10−D
レンズ;
 PENTAX DA18−55mm AL F3.5−5.6
 PENTAX FA50mm F1.4

「夜祭り」の撮影は、
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.4

  (画像添付時に約30%に圧縮)


 今年もまた、「与野 夜祭り」の季節がやって来た。季節は「大暑」の直前であり、もうすっかり夏。

 この前の週末に夕立があった。子供は熱心に美しく光る稲妻を写真に撮ろうとしていたが、バッテリー切れになるほど何枚も撮っていたが、どうしても雷を捕らえられない。そこで「夜景モードで三脚を立てないと駄目だ」ということを教えると、なおも挑戦し、辛うじて一枚だけ光跡を捉えることができた。

 小笠原高気圧が勢力を増して前線を押し上げ、「夕立(ゆうだち)」の激しい雷雨があれば、それが合図となって梅雨が開ける。その夕立から一週間、見まがうばかりの連日の晴天であり、毎日30度を越える猛暑が続いている。

 去年の祭りの時期は台風4号の来襲で大変な状況だったが、それから考えると猛暑日が続くだけで、今年は平穏な幕開けといって良いのかも知れない。

「与野 氷川神社(八雲神社)の夏祭り ; 2006.07.15:与野 夏祭り」 のページを表示
「与野 氷川神社(八雲神社)の夏祭り ; 2007.07.15:夏の入り口 与野夜祭」 のページを表示

与野 氷川神社の拝殿
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 「与野夜祭り」は毎年恒例で、土曜・日曜の2日間に渡って開かれる。大宮のお祭りは、花火もカーニバルがある祭りもみな高飛車に「日にち」だ。曜日ではなく、たとえば花火は30日というと、まっしぐらに30日に開催されるのだ。多くの勤め人をなんだと思っているのだろう。そこへいくと与野はいい。我々に優しく、日にちがずれても土日曜を守ってくれる。小さな町だが与野のこういう姿勢がいい、と思う。「中央区」になってしまって与野はなくなっているのが残念だが、こうして律儀に曜日で行われるのが、以前紹介している八雲神社の夏祭り、「与野 夜祭り」だ。

 去年は雨で結局駄目だったが、今年は念願の上町の<お神輿>を担ぐことにしたようだ。数えた訳ではないので実数は判らないが、熱暑の中を30人程の子供達が頑張って、時には交代しながら担いでいた。

 さいたまの土曜日の気温は35度。強烈な日差しと暑さであった。

 そんな熱暑の中、昼の一時に出発なのだからたまらない。一緒に付いて歩いていると、アスファルトの照り返しで眼が眩みそうだ。しかも、子供達の熱気がそれに加わっているから、まるで大きな熱の塊が移動しているようだ。

低学年用の曳き車 子供神輿が戻ってきた

 土曜日の神輿は、氷川神社の境内での集合(12時45分)に出遅れて、神社へ行ったときにはお神輿が丁度出発するところだった。

 歩きはじめで力に溢れた多くの子供達がすでにどの梶棒にも取り付いていて、思ったような空きが無く気後れしてしまったらしい。暫く神輿について歩いて、20分後、我が家の近くに来たときにどうにか中に入って担ぐことが出来た。どこに入ってよいか、どう担いでよいのかが判らず、きっかけも無かったので中々入れなかったようなのだ。

 「神輿は担ぎ手同士が密着して担ぐもの。人それぞれの場所が決まっている訳ではないし、梶棒に一人二人などときちんとした定員が割り当てられているようなもんじゃない」と叱咤して、「どこでもいいから隙間を見つけて、入って担げばいい」と何度か背中を押して、やっと入ったのであった。

 暫く様子を見守ったが、暑さがあまりに凄まじいので、神輿に付いて歩くのを途中でやめて戻ることにした。いや、この気温では、私のような中年親父は熱中症にやられかねない。

神社へ戻る子供神輿 町内を回ってきて、午後3時過ぎ。
氷川神社へと戻ってきた。

ワッショイの普通の掛け声とは別の声がする。

先頭の子供達が「♪せーのっ、せー、で、オー」
という妙な気勢をあげている。

オーの部分で一斉に腕を差し上げる。
独自のリズムに合わせて
神輿をもみ上げていた。
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 二時間ほどして、子供達の元気な声が聞こえてきた。

 この日の順路では、往きも帰りも我が家の前を通るのだ。出てみると、先頭に元気に担ぐ子供の笑顔があった。あれほど、気後れしていたのに元気に大きく声を出している。しかも、いつの間にか上町揃いの祭りの法被まで着ているではないか。

 私は、なんだか嬉しくなった。

翌日の日曜日
翌日の日曜日。

この日も日差しがさらに厳しいが、昨日の神輿が楽しかったらしく、また、参加することにしたようだ。
氷川神社の森
集合時間が迫っている。
神社の裏の森を抜けてショートカットし
集合場所の境内へ急ぐ。

 神輿は担いでみてはじめて、その大変さが判ったようだ。大勢で取り付いて支えあわないと大変だ、というのを身をもって理解したようだ。担いでみると私が言っていたことが「ほんとうだ」と判ったいう。そして、味わった一体感や担ぎ終わった後の達成感や爽快感がすばらしく、なんだか、ひどく楽しかったらしい。

 日曜日も、張り切って担ぎに出掛けたのであるが、前日の経験を活かして、この日は少し戦略を練っていた。聞いてみると、最初は曳き車を引いて歩き、順路の最後の方になったら神輿を担ぐ、という概略のものだ。体力を温存しておいて最後に頑張ろうという作戦らしい。

 要は、昨日は思いのほか大変でバテた、ということらしい。

翌日の氷川神社
出番を待つ
出発前
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 神社の境内に集合してみると、どうした訳か集まっている今日の担ぎ手は、ほんの数人に減ってしまっている。

 祭りの世話人のお兄さん(上町の男神輿の若衆)が大きな声で担ぎ手を勧誘して、やっと集まった総勢が15名ほどであろうか。

 元気溢れる子供達にとってもかなりキツかったようで、彼らの持つ素晴らしい体力や強靭な回復力をもってしてもグロッキー。昨日の暑さに皆、完全に参ってしまったらしいのだ。

 そんな訳で折角工夫した「曳き車作戦」も空しく、最初から担がなければならないことになってしまった。しかも元気良く頑張るように揃いの法被まで着せられて、誤魔化しがきかなくなっている。心配と嬉しさが入り混じる複雑な心境が付いていった私にも伝わってくる。大人であれば、「いやはや・・・」といって軽くため息を吐きかねない、少し困った状況だ。

 いくら元気を出すといっても、勿論、子供達だけでは人数が足りない。これでは町内を回っての二時間あまり、無事に歩き通す事は出来ないだろう。 仕方なく、私を含めた数人(五名ほど)の大人が手助けすることになった。いやはや・・・。

最初から神輿を担ぐ
子供神輿
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 先頭に大人が三人入って、神輿を支える。後ろにも二人。皆、私のような中年だ。若い父親は、何処へ行った。カメラをぶら下げて付いて歩いている場合じゃないぜ、と少し恨めしく思う。

 私は左前の側面を受け持った。自分の子供の負担を軽くする位置であるからサボるわけに行かない。だけど、折角カメラを下げているので、途中で声をかけて棒から外れ、急いで何枚かの写真を撮った。そうして、結局、二時間余りの順路すべてを神輿を担ぐ事になってしまった。

 担ぐ、といっても、子供の肩の高さを作らなければならないので、腕組みをするようにして下腕で支える格好だ。だから神社に着いたころにはすっかり右腕がしびれていて、肘前の部分が真っ赤になっていた。いや、久しぶりの神輿はしんどかった・・・。

キツい神輿 神輿
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 さて、シャワーを浴びてさっぱりして、帰りに買ったアイスを食べて(折角なので私はビールだ)一休みし、その後はもう一つの楽しみである「与野 夜祭り」へ出陣だ。

 夕方五時に近所に住む友達を迎えにいって、子供達を私が引率する手はずだ。神輿を二人で担いでいて「夜祭り」に行くことを約束したもので、1000円のお小遣いの制限までちゃっかりと決めていた。「お祭り」なので普段の小遣いとは別枠の特別なものという事も、子供自ら家人に交渉して引き出した。そうは行かない私など、その手際に、なかなかヤルもんだと関心してしまった。ぜひ、見習わねば・・・。

 普段の小遣いは400円。だから本人は心が躍っているようで、少し落ち着きが無い状態になっている。外目で見ても判るような「お祭り気分」を滲ませているのだ。

神輿 氷川神社

 丁度、上町(かみちょう)の男神輿が神社へ戻ってきた。

 まだ、皆、普通の状態だ。これが境内で揉みこまれて七時頃に、また出座して本格的な祭りとなる。実際にお神酒も充分に入っているのだろうが、担ぎ手のテンションは上がっていて、その頃にはいわゆるハイの状態になる。

 この神輿の出座に合わせて、人々が動き、祭りの人出もぐっと多くなるので、子供達はそれまでに道を戻ることになる。家人から小遣いを引き出す際にした、それが大切な約束ごとだ。

 我が家の子供だけなら神輿を追って暫く歩くのもいいが、引率者として考えなければならないのは安全が第一だ。やはり、神輿が出てきたらそれを合図に家へ戻ることにしよう。

上町の男神輿 氷川神社へ戻る
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夕方の境内 本町通りを行く

 与野の本町通りは、祭りの時間帯は車道を通行止めにして開放する。

 片側一車線なので、さほどは広い通りではないが、歩行者には充分だ。だが、夕暮れから宵に変わると通りの様子も一変する。写真のようにのどかな状況ではなく、人で通りが一杯になるほど混雑してくるのだ。

 約束した1000円のお小遣いを有効に使うため、友達と何度も綿密な作戦会議をしている。思わず興味をそそられて聞き耳を立ててしまったのだが、「くじを二回となにか美味しいものを買って食べる」と言うのが、その内容らしい。そうなると、どの屋台で「くじ」を引くかが重要になってくる。なるべく景品がよく、しかもよく当たっている店の「くじ」を選んで引き当てる必要がある。半分出掛かった「そんな店は無いよ」というせりふは、口にはしなかった。私は一応保護者であるから、ちいさな希望を挫いてはよろしく無い。

くじ引きの相談 浴衣の帯
浴衣の帯は、和太鼓の衣装の帯を利用している。
刀をさしても緩まない、という締め方らしい。
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 得意な射的、カードが景品の「くじ」屋さん、いろいろと魅力に溢れる店が並ぶ。

 射的では景品を良く採るが、それは健保の施設や障害者センターでの納涼祭など、サービスをもっぱら意図する施設での整備された環境のものであるからだ。だが、縁日のような屋台ではそうは行かない。的に当たっても採れない状況がそこにある。放っておくのもひとつの学習機会であり方法論だろうが、じっくりと観察させてその辺りの仕組みというか、祭りのルールというものを理解させないといけない。

 私が幼少の頃はよく「子供だまし」と言ったものがあり最近はあまり御目に掛かれないものになって来ているが、やはり騙しすれすれのものはあるのだ。楽しみにしている折角の小遣いを無駄にさせてはなるまい。

射的も実に魅力的 カードでは効率が悪かろう
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旨い物、その一(冷やし中華) お店並みに手の込んだ冷やし中華

 さて、「美味しいもの」の方だ。

 去年は、中華食材の「きくらげ」が入った台湾風の焼きソバ屋さんに驚いたが、今年も眼を引く屋台に出会った。「冷やし中華」の屋台であり、今までありそうで無かったものだ。しかも、手が込んでいて本格派だ。きちんとしたハムやパイナップルが入っている。細切りの卵焼きの代わりに、冷やしたパイナップルというところが新しい工夫だ。斬新だ。

 子供はかなり惹かれたらしく、大分迷っていた。100円で飲んだラムネや500円の「くじ」を引いていなければ、食べたかったようだ。これを食べてしまうと残金がゼロになり、「イカげそ」が食べられなくなってしまう。それにまだ、食べ物ではなく300円の「くじ」をひくこともも選べるのだ。

 去年も買ったチキン・ソテー。今年も盛況で、早くも列を作っていた。良く見ると、塩・胡椒だけでなくバジル・ソース味も選べると張り紙がある。さらに焼いているのをみていたら、赤ワイン(銘柄は不明で、すこし怪しい気がした)の封を新たに切って焼いているチキンに掛けていた。ボトルを新たに開栓していたので、中身は確かに赤ワインだ。少し驚いた。去年美味しいと思ったのはこんな味付けがあったのだ。もちろん、今年もお土産にしてもらった。バジル・ソースにも惹かれたが、オーソドックスに塩・胡椒でお願いした。

旨い物、その二(チキンソテー) 赤ワイン、塩・胡椒きちんと味付け
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旨い物、その三(お好み焼き) 桜海老

 さらに、美味しいものを・・・。

 定番の「お好み焼き」だ。店先の美しい桜海老が目に留まった。先のチキンの店の近くだが、同じように行列の出来ていたお好み焼き屋さんだ。

 この店のお好み焼きは<豚玉焼き(とんたまやき)>という名前が付いている。少し小ぶりな感じだか、大量の桜海老だけでなく、紅しょうがや揚げ玉、ハム(ベーコン?)、玉子などがキャベツと共に豊富に入る。焼いている様子を見るだけで、早く食べたくてしょうがなくなるような洒落た感じであり、しかも値段が良い。こんな気合が入った内容なのに、なんと僅かに200円なのだ。

 私は並んで二枚を買ってお土産用にしてもらった。元気で愛想の良いお姉さんをみて「優しい笑顔だからきっとすごくおいしいよ」と言って、私と一緒に並んでいた子供は自分のなけなしの小遣いで、一枚を買ったのであった。パックに入れる前に、濃い目のお好み焼きソースを塗って、鰹節をいっぱい掛けてくれた。ああ、感謝。

ハムやショウカ やっぱり、買いますよね
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イカげそ 男神輿がやってきた

 「イカげそ」を焼いてもらっていたら、神輿の先触れがやってきた。

 あれ、もう来てしまったのか、と思い、少し慌てた。仕方が無いので屋台の間に逃げ込んで見送ることにした。

 男神輿が通り過ぎる。びっしりと隙間無く担ぎ手が取り付いている。丁度良く「お神輿はああやって隙間無く皆で担ぐんだよ」と子供に教えてやる事が出来た。

お神輿が来た こちらは女神輿
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 神輿を見送って、後に続く沢山の人が過ぎ去ってから、帰る事にして道を神社へと引き返した。この様子なら、子供と家人が約束した七時前の帰宅は守れそうだ。

 交通規制の入り口まで戻ると、子供同士だけで祭りに来ていた同級生とすれ違った。子供達が「じゃんけん大会」に出るかどうか、といっている。

 「上町演芸場」と銘打った櫓でカラオケをやっていて、そこを舞台に「じゃんけん大会」が行われる。例年のこの催しを私も知っていたが、もう少し遅い時間のように覚えていた。七時開始であれば、後五分ほどではないか。往きに櫓の前を通った時に、子供たちに丁度「じゃんけん大会」の話をしたのであった。去年は子供は参加するのを嫌がったが、なぜか今年はぜひやりたいという。

 そこで仕方なく来た道をまた戻って、出合った幾人かの子供達と一緒に参加することにした。私はジャンケンに強い方で、結構勝を収めて景品に何か貰うことが多いのだ。

 私はサランラップ、子供は自転車カバーを手に入れた。櫓の上で戦うクリーニング屋さんが滅法じゃんけんの強いおば様なのだ。

 じゃんけんで勝って四・五人ほどに残るとスリッパやハンガーやウェットティシューなどの何らかの景品をもらえる。子供たちが中心になって参加するのだが、景品は台所用品やちょっとした家庭用品だ。大人も含めた多くの町内の人が手軽に楽しめて、お土産を手に出来るのだ。ちなみに、今年の特等の景品は「小型扇風機」であった。GETしたのは、町内に住むおじさんであった。

数年分の祭りのポスター じゃんけん大会
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