家族のイベント のインデックスページへもどる家族のイベント の ページ       Top Pageへ移動 Top Pageへ移動       このページを閉じる 閉じる

2009.02.03
もんじゃ焼き

カメラ;
 RICOH CAPLIO GX−100 24−72mm F2.4

  (画像添付時に約30%に圧縮)


 「もんじゃ」といえば月島、門前仲町(もんぜんなかちょう)界隈が有名だ。元々は子供向けの駄菓子屋さんがやっていたものだ。

 故郷、前橋には「もんじゃ」は無く、同じ状態のものを「じじ焼き」と呼んでいた。

 子供向けの駄菓子屋の土間に大きな鉄板が設えてあり、そこに多くの子供が取り付いて、味噌汁の碗に入れられたうどんこ(小麦粉)の溶いたものを手に賑やかに楽しんだ。キャベツや切りイカなどは勿論入っているものではなく、たまに小使いに余裕のある子供が「チビちゃんラーメン」を砕いて入れたりする。私等は、馬鹿話の合間にも横目で注意していて、はじかれたラーメンのカスをすばやく自分の溜まりに取り込むのであった。

「もんじゃ」のキット
中身にセットされた具の一式
ページTopへ移動
 随分前から、「お好み焼きの素」といったような袋詰めのセットがあった。桜海老の乾燥したものと小麦粉、青海苔などが入ったものだ。玉子と豚肉、キャベツなどを用意すれば手軽に「お好み焼き」が家庭で楽しめる。

 同じような企画もので、最近は「もんじゃ」が売り出されている。

 全国で流通しているのかどうか判らないが、これなら何処に住んでいてもお手軽に本場?の「もんじゃ焼き」が楽しめる。セットの中には、切りイカ、桜海老、小麦粉、揚げ玉が入っている。あと必要なものといったら、キャベツだけ。いや、実に気の利いたセットではないか。

 すこし前に、「都電荒川線」で散歩に出かけて、「町屋(まちや)」や「荒川遊園前(あらかわゆうえんまえ)」でもんじゃ(2007.10.08 「都電荒川線に乗って(町屋)」)をハシゴして楽しんだ。それが私にとっての「もんじゃデビュー」であった。初めての「もんじゃ焼き」は「じじ焼き」とは違ってずっと洗練された都会的なものだった。第一、じじ焼きは具が入らないので、パリパリの煎餅状にするしかなかった。

最初は一気に火を通す 具がおおかた炒まれは、次は土手の作成だ
ページTopへ移動
 さて、今回は家人監修のもと、本格的な「もんじゃ焼き」を作る。

 前橋と違って伊勢崎(いせさき)では「もんじゃ焼き」は子供のころから親しんでいたものだという。

 「銘仙(めいせん);絹を素材にした先染めの平織物」で有名な伊勢崎(いせさき)は鉄道の「東武線」で浅草と直結していたため、東京の下町文化が早くから伝わっていたようだ。家人の出身小学校の前で今も営業を続けているもんじゃ焼きの店で、子供時分に本式の焼き方を修行したらしい。「銘仙織り成す伊勢崎市」と「上毛かるた」にうたわれていて、その絹織物は地域の主要な産業であり、伊勢崎はその一大産地であって都会と直結していた。桐生(きりゅう)の「西陣織り(にしじん):西の京都、東の桐生と言われていたらしい」も同様であり、足利(あしかが)もやはり絹織物の産地であり、みな東武線で浅草と繋がっている。

 だが、前橋は原材料である絹そのものが特産であって、そうした織物の産地とは結ばれていたが(鉄道としてはJR両毛線とローカル線の上毛電鉄)消費地とは隔絶していた。古くは、日本産の絹といえば「MAEBASHI」という名が付いていたほど、前橋は有名な産地だった。つい最近まで、前橋南部にある父の実家(本家)も大きな養蚕農家だった。


 さて、「もんじゃ焼き」だ。

 手順としては、最初に具を炒める。その後炒めた具材を土手状にし、その中に溶いた小麦粉(うどん粉)を入れる。と書いたが、実際には小麦粉の汁を具に絡めてかけつつ、手早く炒めていくものらしい。焼きあがってからソースを掛けるのではなく、小麦粉の汁に出汁やソースをあらかじめ入れて味をつけておくのが「もんじゃ」の特徴だ。

座って作っているような余裕はない さあ、溶いた液を入れよう

「炒め」は子供に任せてみた。
ページTopへ移動
完成間際
餃子を作る

 学生の頃は自炊をしていたのだが、数十年を経た今では、料理はまったく駄目だと言えよう。

 なぜか、作ったものはいつも炒め過ぎや焼き過ぎで、つまりは手を入れすぎ、火を入れすぎで、べったりしてしまう。シャキッとした食感が無くなってしまう。

 こんな私の轍を踏ませまいということか、子供は幼稚園のころから色々と料理に取り組んでいる。驚くべきことに子供用のセラミック製のマイ包丁も持っている。だから、この程度の炒め物はお手の物だ。いつも出掛ける夏の舘岩(たていわ:福島県)での合宿では、定番のカレーの自炊は勿論、放流されたイワナを(手掴みで捕らえて、)自らさばいて串に刺し炭火で塩焼きにする、なども作っている。私は同行した事が無いが、家人が言うには「ちゃんと一人で出来るよ」という事だった。

 お好み焼き、焼きそば、たこ焼き、などはもうキチンと作れる状態だ。ただし、それらに入れる具は、家人があらかじめ用意してくれる状態なのだが・・・。

 料理だけではない。何年か前からクリスマスのケーキ(2006.12.24 「ベリー・メリー・クリスマス」)は家人が手伝っての子供の手造りだ。

 写真の餃子は2008年、去年のものだ。具を刻むところから初めて、皮で包んで焼くところまでやらせてみた。しかし幾つかを作るうちに飽きてしまって、途中からは勝手な形状を作り始めた。

 こうして、少年の頃からいろいろな料理に親しんでいれば、自炊する際にも問題にはなるまい。

餃子を作る 餃子を作る
ページTopへ移動
 先日、殻付きの牡蠣を買ってきた時のことだ。私がWeb上で殻の開け方を調べて覚束なく殻を開けているのを横目に見ていているうちに、自分もやりたくなったらしい。

 牡蠣の殻を外すには、コツがある。接合部を左側にして横に向け、丸くなっている方の殻を下にする。手前側、中ほどの場所からナイフを入れて、最初に下(丸くなっているほう)の殻と貝柱を切り離す。これが調べた手順だがさすがにナイフを入れる部分は危険だろう。だからその次の手順になる、上にした平らな殻と貝柱を切り離すところをやらせてみる事にした。いくらイワナが包丁でさばけるからといっても、牡蠣の切り離しは難しかろう、と思った。そこで、上の貝柱に私がナイフで切れ目をいれ、最後に貝殻を開ける仕事を担当してもらうことにした訳だ。

 上の殻の貝柱を充分に切れば自然に開いてしまうのだが、これを少し残しておく。すると手でこじ開ける愉しみが残る。開けるそばから食べられてしまったのだが、それもあってか、充分楽しかったようだ。

 少し前は、「寿司職人」になりたいようなことを言っていたが、自分で料理ができれば食べる楽しみも増すし、なにより食べ物を大切にするというものだろう。

恵方巻き

「巻き」の前段、具をしくところを手伝ったようだ。
恵方巻きを頬張る
ページTopへ移動