さて、今回は家人監修のもと、本格的な「もんじゃ焼き」を作る。
前橋と違って伊勢崎(いせさき)では「もんじゃ焼き」は子供のころから親しんでいたものだという。
「銘仙(めいせん);絹を素材にした先染めの平織物」で有名な伊勢崎(いせさき)は鉄道の「東武線」で浅草と直結していたため、東京の下町文化が早くから伝わっていたようだ。家人の出身小学校の前で今も営業を続けているもんじゃ焼きの店で、子供時分に本式の焼き方を修行したらしい。「銘仙織り成す伊勢崎市」と「上毛かるた」にうたわれていて、その絹織物は地域の主要な産業であり、伊勢崎はその一大産地であって都会と直結していた。桐生(きりゅう)の「西陣織り(にしじん):西の京都、東の桐生と言われていたらしい」も同様であり、足利(あしかが)もやはり絹織物の産地であり、みな東武線で浅草と繋がっている。
だが、前橋は原材料である絹そのものが特産であって、そうした織物の産地とは結ばれていたが(鉄道としてはJR両毛線とローカル線の上毛電鉄)消費地とは隔絶していた。古くは、日本産の絹といえば「MAEBASHI」という名が付いていたほど、前橋は有名な産地だった。つい最近まで、前橋南部にある父の実家(本家)も大きな養蚕農家だった。
さて、「もんじゃ焼き」だ。
手順としては、最初に具を炒める。その後炒めた具材を土手状にし、その中に溶いた小麦粉(うどん粉)を入れる。と書いたが、実際には小麦粉の汁を具に絡めてかけつつ、手早く炒めていくものらしい。焼きあがってからソースを掛けるのではなく、小麦粉の汁に出汁やソースをあらかじめ入れて味をつけておくのが「もんじゃ」の特徴だ。
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