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雑記としたのは、メッセージ性の無い内容となる可能性があるためだ。
いや、むしろ備忘録というところか・・・。 私的な内容で恐縮する。
2006年12月10日(日)
旅を楽しむ
一枚目は、お土産で頂いた物。
一見すると「あんこ玉」のようだが、中身はぶどうの香り高いゼリーだ。
美味しさが伝わらない写真で残念だが、楽しさは文章で伝えることが出来る。
楊枝でプチッとやると、中からゼリーがご機嫌な状態で飛び出してくる。
山梨は余り訪れる機会が無いが、お土産を食べているとなんだか行った気分になるから不思議だ。
持っていた茶道具の出動
購入以来初めて利用することが
出来た。
先の台湾で自分用に買ってきたお土産。
これは、普段用のちょっと安めのセット
茶葉は手摘みのようだ
たまには、こうして
時間をかけてお茶を飲む
のもいいものだ。
ひととおりの淹れ方は習ってきたので、大丈夫だったが、
改めてこのように正式に淹れて見るとティーポットで淹れるよりも格段に美味しい。
(お茶はどの国へいっても文化だと思う)
2006年11月26日(日)
旅にしあれば・・
台湾
へ行った。
社員旅行としての、3泊4日間の団体旅行だ。
5年毎に近隣の海外へ出掛ける訳だが、半日拘束される他は自由行動が可能となる。
今回も従来路線同様の日程割だから、
好きな旅に仕立てる
べく、いくつかの目的を準備して出掛けた。
ほぼ、満足の結果となったが、ひとつだけ達成できなかったことがある。
<GIANT>は世界最大の自転車ブランドで、台湾に本社がある世界企業だ。
その意味で台湾は、料理や飲茶や電脳王国だけでなく、世界最大の自転車生産拠点なのだ。
そこでは、通常日本でみることができない、GIANT製のロードモデルが販売されているはずだ。
1.自転車を現地で購入し(生産地なので、日本より格安のはずだ)、
2.目的の場所で乗りまわし(分解輸送用の輪行バック持参だから、MRTで移動が可能のはず)、
3.すいたお腹で旨いもの(高級料理ではなく地元の人々が利用する安くて美味しい小吃)を食べる。
(「小吃」に関しては素晴らしい
越後屋鐵路局台湾線
の<
台湾B級グルメ
>に詳細な紹介がある)
4.そして輸送料なしで日本に持ち帰る(ロードなら10Kg以下で、通常の手荷物として持ち込み可能)
格安で、しかもご機嫌なサイクリング旅を夢見ていたのだった。
しかし、台北市街ではついに自転車店にはめぐり合えず、購入だけでなくレンタルさえもできなかった。
市内に溢れていたのは同じ自転車属でも原チャリ(原動機付き自転車;すべてがスクータ)で、しかも物凄い量であった。
2006年11月19日(日)
天使の降臨
プラザ1の頭上に輝くイルミネーション
が不思議だった。
(この巨大な球体は、何を表現しようとしたのだろうか・・
また、周辺を飛ぶ天使には、いったいどんな意味があるのだろう?)
先日、ふと見かけた、さいたま新都心駅に貼りだされている
イルミネーション
のポスターの写真で正体がわかり、
やっとスッキルすることができた。
プラザ1の頭上に輝く巨大な球体は、「太陽のモニュメント」という題名のオブジェであった。
太陽と判ってから、今度は「なぜ太陽の周りを天使がとりまいているのか」が疑問で、私の中では深い謎になった。
その謎も、参照先ページを見つけそこに掲載された神話解説によって、やっと意味が判然とした。
キリストの生誕
は、太陽の力と強い関係があったのだ。
とすると、キリスト教でも太陽信仰が根本なのだろうか。いや、そんなはずはあるまい。
まあ、この壮麗さを楽しめば、それはどうでもいいことだ。
2006年11月12日(日)
中央区に暮らす
さいたま市中央区は、政令指定都市になる前の与野市全域だ。
浦和・大宮と合併し「さいたま市」となった後、名誉ある<
中央区
>の名称を得た代わりに
与野
(よの)の名前は
残念ながら消えてしまった。
しかし、旧与野市の市民祭りは「中央区区民まつり」となって今も続いている。
郵便局や旧市役所、市民体育館、プール、図書館などの一帯が、その会場だ。
先の、本日の反省「2006.10.08;失われた記録」の「咲いたまつり」の会場はJRさいたま新都心駅が中心だが、
この市民祭りは埼京線のJR与野本町駅を中心として開催される。
この祭りの良いところに友好都市のエリアがある。
そこに行かなくても、物産や人情や何よりも美味しいものが楽しめるので、毎年楽しみにしている。
従来から、笹団子や銘酒「八海山」を楽しめる六日町が与野の姉妹都市であり、そこから幾つかの出店があったが、
その他に (政令指定都市の関係からか?)南会津町(福島)や鴨川市(千葉)、みなかみ町(群馬)など、
年々姉妹都市から出店する産地直送品を販売するテントの数が増えている。
区役所前(旧 与野市役所)のコーナーでは、ライオンズクラブや地元の団体主宰のテントがあり、
リーズナブルに買い物や食べ歩きが楽しめる。
(そば打ち名人会(羅臼の石臼引きのそば粉使用)のもりそば500円や、カレーライス300円をはじめ、
綿あめ・ポップコーン各100円、などなど。)
フリーマーケットや地元商店の出店もあって、新品の手帳用の外装(ホルダー式の本皮製)などを買い込んだが、
定価と比べると驚くほどの値段で入手できた。
与野市は、もともとコンパクトな町で、住民サービスが充実していたり伝統行事(
2006.07.15与野夜まつり
や大正時代祭り
など)が盛んなのだが、この区民祭りも同様だ。
まるで、高校の文化祭や大学の学園祭のような、主催者の踏ん張りというか<やる気>が漂っている。
それは、コンパクトな地域にぴったりの、人情味溢れる手作りの<まつり>なのだ。
2006年11月05日(日)
旬の楽しみ
季節が来ると、食べたくなるものがある。または、食べると季節を感じるもの、と言ってもいいだろう。
初鰹(かつお自体はかなり長く食べるが・・)、冷やし中華、スイカ、カキ氷、新茶、鮎の塩焼き、ぶどう、なし、
そば(鴨せいろ)、秋刀魚、湯豆腐、などなど。
我が家は豊かではないが、
旬の食べもの
には敏感だ。
特に私は、初物が大好きなのだ。
見かけたり食べたりすると、「ああもうそんな時期か」と意味もない感慨に浸ってしまう。
そんな訳で、この季節、そば、だ。
さいたまあたりでは、まだ「新そば」でないのが残念だが、そろそろ鴨せいろが美味しい季節だ。
ずっと食べたいわけではなく、旬を味わいたいので、3回くらい食べればそれでで満足するが、
それだけに、「どこで食べるか」は吟味したい。
今年の最初に食べたのは秩父だった。名店「
武蔵屋
」にて鴨せいろを楽しんだ。
2番粉まで入ったような風味あるそばに、こくの深いだし汁と長めに切った太いねぎ(下仁田は無理としても深谷ねぎくらいか)
だった。そして、この店の鴨は正統派の厚切りだった。
この当りに味をしめた訳ではないが、土曜、日曜と少し寒くなって、また、食べたくなった。
例年だと、ドライブを兼ねて食べに出かけるのだが、なんだか今年は出遅れた。
中之条(なかのじょう;群馬県)、足利(あしかが;栃木県のそばの名所)、長野の佐久(さく;佐久平駅周辺)や
小諸などに行っているが、今回は足利に行こうと考えていた。
久しぶりに「八蔵」のそばが食べたくなったのだ。
朝、出かけようとしていたら、家人が「この辺にも美味しそうなお店がいっぱいあるよ」といってグルメマップだの、
たべもの案内のリーフだのを沢山出してきた。(ドラえもんのポケットみたいだ)
浦和、与野、大宮周辺のそばやが地図で示されているし、各店舗の紹介やお勧めメニューが記載されている。
そのガイドブックで与野公園の近くの店を発見した。(2種類のガイドで紹介されている)
創業が古く、35年の営業だ。さらには天ぷら、鴨が売り物らしいのだ。
おすすめメニューの価格も、「えっ」と思うほどだ。
足利行きは取りやめて、ごく近所のこの店を開拓してみることにした。
開店が11時半とのことで、時間を合わせて自転車で出かけてみたら、すでに駐車場は満車の状態で、
自転車で出掛けるという選択は大正解だ。
小奇麗な店内の座敷に席をとり、期待の鴨せいろとちょっと調子に乗って熱燗を注文した。
もりそばと日本酒は、池波正太郎さんからの受け売りで、秋の休日にはぴったりくる。
ちなみに、乾いたそばに日本酒で湿り気を与えるのが昔ながらのそば通の作法らしく、それを手本にしている訳だ。
そばは、更科だろうか。白くてさっぱりしている。(家人はこのそばが非常に気に入ったらしい)
鴨はたっぷりと何枚も入っている(この店は薄切りだ)し、ねぎも太ねぎがざくっと入れられている。
だし汁もこくというか風味があって非常に美味しく、特に七味を加えると絶品だ。
価格も驚くほど安く、味もしっかりしている。何より、天ぷらがこの店の売り物で、非常に美味しい。
いい店を発見した。長く付き合える店を見つけるのは嬉しいもので、願わくば変わらないで欲しい。
与野公園から少し歩くが、「
善天(よしてん)
」というこの店に、新そばが出回る頃に、また行くつもりだ。
2006年11月02日(木)
期待
先日、
すごいもの
を発見した。
USBのワンセグチューナーがそれで、しかもその機種は、録画もできる優れものだ。
USBメモリー大の本体と、取り外し可能なロッドアンテナ、窓際に設置可能な拡張アンテナがセットであり、
受信状態の悪い利用者の環境にも配慮してくれている。野牛社製の製品だ。
Net通販は即完売、どの店に行っても在庫なし、という状況で、欲しいけど市場に物がない。
あきらめ気分で、大宮のBICカメラで予約(近くのソフ○ップは予約すら不可)をしたら、連絡があった。
「保障は出来ないが、多分、月末に大丈夫かもしれない」と言っていた通り、入庫したというのだ。
さすが、地域一番店だ。全国的に品薄であっても、入る所にはやっぱり入って来るのだ。
このチューナーをどのシュチエーションで利用するのだろうか?、といった根本的な部分はひとまず置いておいて、
ノートパソコンに早速接続して設定をしてみた。
簡単にセッティング(ソフトのインストールと受信地域の指定)が完了し、さて受信だ。
(ワンセグの仕様なので、画面表示サイズはさすがに小さい。)
映し出されたのは、きわめてクリアーで評判どおりノイズがない画像だ。
期待を込めた買い物だけの事はあって、惚れた性能には非常に満足することができた。
だけど、この先どうなってしまうのだか、若干の不安を感じている。
なにせ、受信できたのは埼玉テレビだけなのだ。
さいたま新都心のサービスエリアでは、都内キー局以上の局数が選択可能なはずなのだが・・・。
しかも、そこに映し出されたのは、クリアーでもデジタルである必要も無いのものであった。
素人出演の極めてローカルな演出のカラオケ番組など、デジタルで観て、どうなるというのか。
2006年10月29日(日)
物が溢れる
機能的に関心してしまうと、もういけない。
一定の間隔で流れて、まるで暗示を掛けられてしまいそうなヨドバ○カメラの店内放送がまさにその心理を表している。
その物に関する情報を集めるほど「♪欲しくて、欲しくて、たまらない」という状態になってしまうのだ。
そんな訳で、私の周りには、機能にほれ込んで思わず買い込んだ多くの物が溢れている。
すこし思い浮かべただけで、同じ機能で少なくとも数セットが存在する趣味関係のものがかなりあるのだ。
<ハイキング関係>
18から45まで5リットル刻みのザック(20リットルだけを数えても4つ)、軽量バーナーやクッカー、ヘッドランプやランタン
(ろうそく・ガス用各種)、雨具 計6(自転車専用、伸縮、ゴア製、新素材など)
<カメラ関係>
28と35mmのコンパクトカメラ 1.5ダース(西田ひかるさんがコマーシャルをやっていた
KONICAのBIC−MINI
なんて
数えてみたら3世代6個、
リコーR(GR)シリーズ
も多くて3世代4個)、
PENTAX一眼レフ
の歴代ボディ(SP-F、KM、K2DMD、ME、MX、Super-A、LX、Z-1、Z-1P、MZ-3、MZ-S)、
微妙に高さの違う三脚、焦点距離レンジが同じ重量級ズーム(F2.8)と軽量ズーム、
各種短焦点交換レンズ(スクリュー13本、P・M・A15本、FA9本)、
しかも開放F値の違う単焦点広角35mmだけで6本、さらに50mmや100mmマクロレンズ6本。
これではまるで新宿三井ビルにあるペンタックスのショールーム状態だ。
('07.05現在、ショールームは、となりの新宿センタービル地下へ移っている)
<スケッチ関係>
ホルベインとニュートンの携帯用水彩セット(微妙に色数の異なるパレットで計5枚)
<その他もろもろ>
水泳のゴーグル、パソコン、小型スピーカ各種
などなどで、書いていたらきりがない。
見本市のような状態になってしまうのは、同じ性質(時にはまったく同一製品)のものが複数あって、
しかもすべてが完全に稼動する状態にあるためだ。
こうなると、もう自分でも新たなものや同じ製品を買った理由がわからない。
その時点では、「♪欲しくて、欲しくて、たまらない」状態だったに違いないのだが・・・。
納得が行かないものは処分すればいいのだろうが、根が貧乏性なのでそれができないのも、ものが溢れる理由に違いない。
もし、松居一代さんが我が家にやってきて、整理をどんどん進め、しかも処分を迫ってきたら、多分気絶してしまうのではない
だろうか。(テレビ番組の 「いきなり、黄金伝説」 では、すごいことになっていますね)
こうして、一向にスリムになれず、
欲望に取り巻かれて日々を生活
している。
しかも、(技術者のひらめきと努力に敬服するが) 機能に対する憧憬は一向に減らず、
ますますの増殖を続けている状態なのだ。
2006年10月08日(日)
失われた記録(そして、多分記憶も・・)
さいたま新都心を中心にした
市民まつり
が開かれた。町開き以来、今回で4度目のイベントだ。
2日間に渡って盛りだくさんの内容で、アリーナや「けやき広場」など何ヶ所かの会場で行われた。
(初日、さいたま新都心駅前のコンコースで行われる和太鼓の演奏会に、子供も参加した。)
< 7日 プレイベント >
◎フリーマーケット・飲食物販模擬店(会場:けやきゾーン)
◎子どもの絵画展(会場:えきまえゾーン)
◎観光物産展(会場:えきまえゾーン)
◎和太鼓・お囃子・大道芸(会場:さいたま新都心周辺各所)
など
< 8日 本開催 >
◎名車展示・搭乗会(会場:アリーナゾーン)
◎アリーナ探検ツアー(会場:アリーナゾーン)
◎JAZZの祭典(会場:けやきゾーン)
◎パフォーマンスとイルミネーションパレード
など
8日には家族で夕方から出かけて、フィナーレとして行われる各区代表(さいたま市の10区−行政区)のパフォーマンス
(バトントワリングやダンスなど)や、きらびやかなイルミネーションパレード(さまざまな趣向をこらした龍の山車を先導として
進む)を楽しんだ。
それぞれの特徴ある龍の山車の様子や、ダンス・バトンの演技など、何枚もレンズを換えて撮った。
(余談だが、なぜ龍なのか、イベントが始まったころから疑問であったが、今もその理由は判らない)
帰宅後、何枚かのブレ画像を削除してふと見直すと、そこにあったはずの映像がすべて消失している。
普段なら、CFカードからディスクへコピーして作業するのだが、今回はそれを省略した。
なぜそうしたかはよく覚えていないが、直接CFカード上で名前の変更や回転(縦横の変更)などの編集操作を行っていた
のだ。
えっ、と思ったがもうどうにもならず、色々試みたが、その内容を取り返すことは出来なかった。
記録はすべて失われてしまった。
構図やアングルなど、いろいろと気を使ったことなど、記憶(しかも、すごくあいまいで心もとない状態)のみの世界となって
しまった。
久しぶりに訪れた老人力の出現に、「来たな」という感じで、実は少しへこんでいる。
2006年10月3日(火)
新たな気持ち
我が家の子供は、今7歳だが、3歳のころからはじめたスイミングを続けている。
最初の目的は「風をひかない体力作り」であったと思う。
でも、5年も続けていると、泳ぐこと自体が目的なり目標なりになってくる。
親としては、本人にも適正があると思っているし、何よりプラスの要素が多いので、ぜひ続けてもらいたいと思っている。
(泳ぎを身に付けること、泳ぐ習慣、は一生の財産となるからだ)
でも、本人は最近の伸び悩みで行き詰まっている部分があり、取り組みが低調だ。
スクールでは、タイム級(規定の距離に対する年齢別の基準タイム)のクラスまで進んでいるが、その基準タイムに比べて、
どんどん遅くなってしまっているのだ。いわゆる、スランプだ。
だから、本人としても納得がいかず、モチベーションも下がってしまっているわけだ。
4泳法(バタフライ、平泳ぎ、背泳ぎ、クロール)を各50mづつで切り替えて泳ぐ、200メートルメドレーがタイム級の種目だ
が、確かに一進一退で、もう何ヶ月かこの級で停滞している。
特訓と称して、たまに私と一緒にプールに行って泳ぎこみ、各泳法のポイントを教えたりするが、先日泳いだ結果、実は
すでにバタフライは私よりも早いことが判明した。
私自身は、1年半ほど高脂血症の改善メニューでセントラルスポーツの専任トレーナーからスイミングレッスンを系統的に
受けたので、趣味レベル(市民競技手前)での一応のコーチング程度は、そのとき吸収したメソッドにて引継ぎ出来るので
ある。
が、バタフライはリズムが作りずらくて一番の苦手だ。先日は、逆にコーチを受けてしまった。
(私のレベルを紹介しておくと、一応、レッスンジムのマスターズBチーム−規定練習時間にて1Kmの泳ぎこみレベル−で
の練習に参加していた状態 週3日・7時間程度を断続的に泳ぐ)
(10.05追記)
正確には、「泳いでいた」という過去形であろうか。
実は最近、少しサボっていて2・3週間に1回程度の頻度になっている。
だから冷静に考えると、子供の各泳法はそこそこのレベルなのではあるが、どうも本人はいまひとつ日々の練習に気合が入
らない。
そして、今日のことだ。帰宅してみると、今日のレッスンは休んだらしい。
家人とそのことで話してみたら、行きたくない気持ちのままでは練習の意味が無いので、今日は子供と相談して、練習を休み
にしたとのことであった。
その上で、今後スイミングスクールのレッスンを続けるかどうかを考えさせたらしい。
以下は、ノートに書かれたレッスンを続けたいと思う理由だ。
<スイミングをつづけたいわけ>
おとうさんから、ごほうびを もらえるから (取り消し線)
ケーキが かえるから (取り消し線)
水えいが じまん できるから (取り消し線)
○○くんと はなしが できるから (取り消し線)
ちゅうしゃけん(駐車券)を出したり とったりできるから (取り消し線)
しゃわー が 気もちいいから (取り消し線)
以上を考えてノートに書いたが、家人のチェック(そこに書かれた内容が、
本当にスイミングに行きたいと思う理由なのか、を改めて聞き込んだらしい)
で、一度は書いた内容のすべてを本人が「理由」から取り消したらしい。
以下は、その後(30分ほど悩んでいたとのこと)ノートに書き込まれた内容だ。
@ あきらめないことが たいせつだから
A だめ と思ってたら だめ だめじゃない と おもっていたら だめじゃないから
B
自分を しんじて
いるから
なんども消して、紙が破れて汚くなっていたノートの書き込みをみて、今日はもう胸がいっぱいだ。
2006年9月30日(土)
お湯の神様、現る
前に、書いた日帰り温泉(
本日の反省 <2006.07.09 温泉>
)へ久しぶりに出かけた。
なかなかに暑い日でもあり、多少疲れがたまっていたように思えたからだが、肉体的な疲れよりむしろ精神的なストレスを
発散したかったからかも知れない。
いつもは、午前中や昼間に出かけていたので、今回は夕方にいってみた。
夕暮れていく空を露天風呂に浸かりながら眺めるなんて、すごい贅沢だが、ここならお手軽に楽しめると思ったのだ。
案の定というか、まさに図にあったったというか、夕暮れから夜の闇が落ちるあたりの、変わりゆく空のグラデーションが
楽しめたのであった。
露天風呂からは、夕焼けが堪能でき、その後だんだんと暮れて行く空の様子が楽しめた。
欠けた月のおかげで、一番星二番星と星を数えることも出来たのだ。
しかも寝湯に浸かってゆったりとしながら・・・
この施設の露天風呂は、前にも書いたが、周りを竹林が囲み、視界を満たす。
どちらかというと、さいたま市の郊外でもうすぐ上尾という場所なので、秋の虫も多く、日暮れた後は、虫の声が露天全体を
包み込み、なんだか遠い温泉へ来ているようだ。
ほんのりと上がる湯煙
と、盛んに鳴く虫の音が、私のいらだった気分をいっぺんに癒してくれる。
秋が終わらないうちに、夕焼けと虫の声を楽しみにして、また訪れたいと思う。
2006年9月23日(土)
秋を先取り
ワンゲルのサークル有志で、奥多摩の高水三山(たかみずさんざん)へハイキングに出かけた。
秩父周辺(正丸、芦ヶ久保、吾野、武蔵横手など)の奥武蔵へはよく出かけるのでなじみが深いが、一山越えた奥多摩(青梅
から先)へはあまり訪れたことがなかった。
御岳へはレンゲショウマを撮りに前から訪れたいと思っていたが、ロープーウェイなどの観光化が激しそうで、敬遠していたの
だ。
高水三山は御岳に比べれば、自分の足が頼りの場所なので、想像以上に静かであったが、
岩茸石山(いわたけいし)
の
山頂は、集団登山の吹きだめ(大きく陣取ってまるで上野の花見のような宴会)みたいで、ひどい混雑であった。
すこしは覚悟していたが、やはりがっかりであった。
「せめて、山では、静かにいきませんか」と提案したい気分をかみ殺すのに少し苦労した。
ただ、私の印象を占める気分のよいこともあって、差し引けば楽しめたことになりそうだ。
岩茸石山の山頂では、季節感溢れる「萩」の花が満開であったのだ。
さらには、そこから続く
惣岳山(そうがく)
への登りでは、見事なススキが斜面に広がっていた。
下山して里に入ると、登り始めた集落と同様に、そこには花が満ち溢れていた。
もうそれだけで、すべてが帳消しだ。
・・げんきんなもので、もう一度、今度は撮影中心で訪れたい気分になっている。
2006.09.23:高水三山 「山は花でいっぱい」 へ
2006.09.23:花で溢れる山里 高水三山花スライドショー へ
2006年9月10日(日)
デジタルコンパクト
愛用のフィルムカメラ(銀塩)、一眼レフは
Pentax専一
で、交換レンズの資産も数が多いので、なかなか他のメーカへは移れ
ない。今、評判のEOS Kiss Xなどいいなと思っているのだが・・。
広角系のレンズとしては20mmズームから始まって、名レンズのFA28mmF2.8を愛用している。
コンパクトカメラも、Pentax ESPIO-Mini35や、今はカメラ自体から撤退してしまった
コニカBigMini35
、そしてフィルムカメラ
から撤退してしまった
リコーの名機R-1・GR-1S
など、広角系短焦点を もっぱら愛用している。
デジカメとしてのコンパクトカメラはPentax-Optio S4i と NikonのCoolPix S3を利用していて、35mmフィルム換算での
焦点距離はいずれも38mm前後であった。
一眼レフなら従来の視角での広角撮影が可能だが、コンパクトに「携帯」して広角撮影するには、まさに携帯電話(シャープの
2MBピクセル)に頼る形であったのだ。
新宿にあるなじみの中古カメラ店にて、掘り出しものを見つけた。リコーのGRデジタルだ。
いまのところ、コンパクトデジカメで、広角28mmはこの機種とパナソニックの新製品だけだと思う。
パナソニックはDVビデオカメラでお世話になっていて描写には安心できるのだが、申し訳ないがそのコマーシャルキャラクター
が嫌いなので、対象外だ。
GRデジタル
は、従来から愛用しているのR-1やGR-1Sと、ファインダーの違いさえ吸収すれば違和感なく利用できる。
ビューの形式は利用頻度の問題なので、なれれば同じ感覚での撮影が可能であろう。
お金の話で恐縮だが、さすがに現金というわけには行かず、クレジット(それも10回)だ。
投資には余りある効果があることを期待している。
2006年9月4日(月)
花かざり
8/30 携帯にて撮影
9/4 撤去前に撮影
ここのところ楽しみにしている、「さいたま新都心」の
ハンギングバスケット
などの<花かざり>を撮ろうと、今朝はいつもより
早めに家を出た。
少し前に携帯電話で写しただけだったので、今朝はコンパクトデジカメを用意したのだ。
新都心に着いてみると、毎朝楽しんできたデコレーションは、残念なことに撤去作業の最中だった。
アリーナが<世界バスケット>の会場で賑わっていたが、終了と共になくなってしまうらしい。
せっかく置かれたいくつもの花壇は、私が見ている前で、本当に瞬く間に片付けられていくのであった。
設置の意味がバスケット観戦者へのもてなしなので、分かってはいた事だが、やhり残念だ。
欅の木のまわりのラティスに掛けられたバスケットも、通路壁面のいくつものバスケットも、大きな植樹のアレンジも、帰宅する
までには無くなっているのだろう。
こうして、またひとつ、夏が終わる。
追記;
この夕方には、すべてのディスプレイ、花飾りが片付けられ普段どおりの静かな「さいたま新都心 けやきひろば」に戻って
いた。 (花は無くなってしまったが、夏の盛りから続いている光のディスプレイは健在だ)
2006年8月15日(火)
葛飾、柴又
「
手前、生国と発しますところ、葛飾、柴又です
。」
と最初の寅さん (確か2作目まではテキヤ然としていた) では啖呵を切っていたが、柴又には行ったことが無く、谷中、浅草
に続く下町散歩の一環として散歩に出かけた。
JR金町駅から広大な浄水場を横手に見ながら柴又・帝釈天へ向かった。
今回の反省は、金町の飲み屋街(焼き鳥やハイボールの魅力的な看板がどんどん出現する)に気を引かれて、誘い込まれ
るように(家人によれば吸い込まれるように)そちらへ向かい、柴又とは逆方向へ行ってしまったことだ。
訪れた帝釈天の参道は、まさに映画の世界で、私達はそこにある「名物!草もち」をいろいろなお団子屋さんでためし、食べ
比べとして4軒をはしごしたのであった。
帝釈天から江戸川河川敷へ向かい、これも有名な「矢切の渡し」を見物して、山本亭へ戻り、京成柴又駅から帰路に着いた
のだ。この様子は、近く 散歩のページ にUPしたいと思う。
寅さん記念館の屋上が小高い丘となっているが、お弁当やお酒を持参し、そこに広げてのんびりし、ゆっくりと夕日でも眺め
たいと思っている。
2006.08.15:葛飾、柴又 ぶらり散歩 へ
2006.08.15:セミの抜け殻 - 「葉っぱのフレディ」 へ (葛飾、柴又 ぶらり散歩のサイドストーリー)
2006年8月8日(火)
夕焼け空
台風(7・8・9号)が3つ発生し、7号は東海地方へ接近との事だ。
さいたま市では朝から強い雨が降っていたが、夕方にはご覧の通りの夕焼け空であっ
た。
あまりにもその残照が鮮やかなため、私は思わず携帯電話で写真をとった。
最近、珍しい
夕焼け空
で、なんだか嬉しくなって何枚か撮影したのであった。
明日は台風直撃かもしれないが、夕焼けのジンクスでひょっとすると晴れるのだろうか。
今晩寝るのが、少し楽しくなった。
2006年7月9日(日)
温泉(お湯の神様)
小雨交じりの天気で、ちょっと腰も痛いので、近所の温泉へ出かけた。
地下1500mまで掘って作った、今人気の民間の温泉施設だ。
ここの呼び物は、天然温泉のかけ流し(循環式ではない)の露天風呂だ。
源泉の状態(少しぬるめで大体36度くらい)と、加温の状態(普通の42度前後)が楽しめる。
寝湯や岩風呂、つぼ湯など、露天の種類が6種類と多く、内湯も座湯やジェットバスなどがあり、風呂好きには楽しい場所だ。
のんびりとお湯につかり、湯上りに今年初めてのカキ氷を食べた。
さすがに、氷を食べると少しお腹が冷えたので、帰る前にもう一度温まることにした。
露天の岩風呂はちょうど空いていて、私と子供の二人で占領する形となった。
のんびりとして温まっていると、子供のつぶやきが聞こえてきた。
「あー、冷たかったお腹があたたまって、気持ちいい。」
そしてしばらくすると、こんなこともつぶやいていたのだ。
「かみさま、ありがとう・・・」
露天風呂にいる「
お湯の神様
」って、どんな姿なのだろう。
2006年7月6日(木)
テポドン、って・・・
ついに・・・、というか、何故?というか。
ミサイル防衛構想はマクナマラの先制核攻撃戦略から始まるのだが、最終兵器たり得るミサイルは核技術の裏付けの元に、
それを持っていて(使うつもりはないと判っていても)、いつでも攻撃または迎撃できることを示威することで、実際の惨禍を
防止する抑止力ともなり、防衛手段ともなっていた訳だ。
まあ、核装備に関しては不透明で、このミサイルが核の脅威となるかは別に、仮に弾頭として衝撃や熱にも耐え得る形で
生物・細菌兵器が搭載されたとしたら、核に劣らぬ脅威だ。
やはり、これは国際社会的にも、ましてや隣国としても、非常にまずい事態ではないだろうか。
学生時代の専攻は政治学で、冷戦真っ只中であったから上記のような実践的理論を学んだ訳だが、冷戦もとうに終結し、
世界規模での一体化が進む中で、まさかこんなに簡単にその機会が訪れるとは想像もしていなかった。
いったい何を目論んでいるのか、想像も出来いないため、一層の恐怖を掻き立てられる。
いったい、あの国はどこに向かうつもりなのだろう。
2006年7月2日(日)
花やしき
この前、谷中に行ったときはバスの中から雷門を眺めただけだったので、今日は浅草
(のんびり 行こうよ <2006.07.02; 浅草、ぶらり散歩> )
へ行ってみた。
秋葉原から筑波エクスプレスで乗り換えて浅草まで行き、帰りは浅草寺、仲見世を見物して雷門へ出て、そこから谷中散歩
でお世話になった「東西めぐりんバス」で上野へ向かうコースだ。
浅草にある「花やしき」は最近ではタイムスリップできるワンダーランドとして、別の意味で人気スポットだ。
私の再訪としてはおよそ40年ぶりくらいだろうか?
ちょうど今の子供くらいの年齢でやって来て、そのときは随分広く感じたのだが・・・。
今回の目的は2本立てで、お化け屋敷とコースター(ジェットコースターとは多分呼べない)だ。
この遊園地のレトロなお化け屋敷は、本物が棲みついているという噂(都市伝説?)があり、ちょっとスリリングなのだ。
暗い中で足が固まり、俯いて進めなくなっていたのだが、それでも子供の始めてのお化け屋敷体験は、すこぶる楽しかった
らしく、帰宅後は、落書き帳に迷路みたいなお化け屋敷の絵を描いていた。
大人になったら、すごく怖いお化け屋敷を作るためだそうだ。
2006年6月25日(日)
ワールドカップに想う
サッカーのワールドカップ、日本は一次リーグで敗退し残念であった。
土曜日夕方の週間ニュースを見ていたら、「韓国も予選リーグ敗退」との内容で、落ち込むサポーターが画面に映し出され
ていた。
ああこれでアジア勢は決勝進出なしか、と想いながら観ていたのだが、「強いのがいいってことじゃないよね。サッカーは・・・」
子供がしみじみとした口調で、こんな事を言い出した。
いや、強いのがいいんですよ、と思ったままを切り返すと、
「ちがうよ。おもいだよ、おもい。
勝てる、っていう おもい
が 大事なんだよ。」
お前のおもいは「思い」なのか、それとも「想い」なのか。
土曜日に一緒にしたサッカー練習( いいか、基礎っていうのが一番大事なんだぞ・・ )は無駄ではなかった。
時に哲学的になる子供に対して、現実的な価値観での判断を押し付けてはいまいか。
世俗に溺れがちな父としては、深く反省した週末であった。
2006年6月11日(日)
鼻の大きさ
寝る前に布団の中で子供と話をしていたら、急に鼻に触られた。
私の
鼻の大きさ
を確かめた、ということで、理由を聞くと、「嘘をつくと鼻が大きくなるから」との事であった。
私は、暗闇で考えた。 鼻が大きくなる? そうか、私は嘘をつくと小鼻が膨らむのか。
これからは注意しなければ・・・。
それにしても、よく観察しているものだ。ウカウカとしていられないな、と思う。
ついでに、「嘘をつくと鼻が大きくなる」 という発見が新鮮で、そのことに、いつどうやって気付いたのかを聞いてみた。
子供いわく、「ピノキオの話で覚えたんだ。 嘘をつくと鼻が大きくなるんでしょ?」
「いいや、あれは鼻が大きくなる訳じゃなく、鼻が高くなるんだよ。」
と「ピノキオの特殊な事情」を説明しようと思ったが、私はそれを飲み込んだ。
確かに、大人の鼻がすべてピノキオのようなら、世の中、もう少し暮らしやすくなるのだが。
2006年6月3日(土)
往生際
隣の席に座った品のいいおばあさんが小さな文字で書かれたパンフレットを読み始めた。
最近、小さな文字が読み辛くなっている私としては、達者なものだなと関心してしまった。
何気なく、文面を覗くと人相は悪くないのだがちょっといやな感じのじいさまが、笑いながら封筒詰めをいているイラストが
あり、その横には、「自筆遺言書の書式例」とあった。
ほかにも「遺言と民法」などの項目があって、読んでいたのは三○信託銀行編「遺言の知識」(こっそり、表紙まで確認させて
いただいた)なのであった。
どんな気分で読んでいるのだろうか、電車で読むにしては少しハードではないか、など、さまざまに心配してしまった。
私なんぞは、まだまだだな。
老人力がつき始めた、と喜んではいても、このような達人の域には当分及びもつかない。
2006年5月27日(土)
対応力
後輪のストラットカバーパネルが入庫との連絡にて、ディーラーへ行った。
ソケット的に接合されているピン部分が何らかの理由で歪み、ぐらついていたのだ。
両側ともであり、特に衝撃等の要因もないため、保障範囲との事で無料交換となった。
部品交換待ちの間、ショールームにて時間をつぶすが、息子はプレステのラリーゲームをはじめた。
(ここに置かれているゲームの車は、もちろんWRC仕様の青いインプレッサだ。)
この前来たときは、前進させることすらままならなったのに、今回は完走している。
ボタンを押すだけなのに、カーブ側にからだ全体を傾けながらの操作で、タイムもそこそこ出ている。
我が家には、テレビゲームは無いのに、いったいどこで習得したのだろうか。
この目の覚めるような技術向上が若さゆえなのか?ちょっと、不思議だ。
恐るべし、子供の対応力。
子供に敵わない日が訪れるのは、思いのほか早いかも知れない。
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