のんびり行こうよ

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本日の反省 または 雑記

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雑記としたのは、メッセージ性の無い内容となる可能性があるためだ。
いや、むしろ備忘録というところか・・・。 私的な内容で恐縮する。
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2008年12月16日(火)
もうじき冬至
 霜柱 霜柱
 21日は冬至だ。

 さいたまでは寒の入り(1月の5日あたり「小寒」からを指す)あたりまでは、比較的に温かな日が続く。

 木枯らしX号などと報道されるが、寒風吹きすさんで、はじめて寒いと思うくらいだ。
 その木枯らしも、故郷前橋の凶暴な赤城おろし・榛名おろしの「空っ風(からっかぜ)」から比べれば実に穏やかなものだ。

 今週は、そんな中でも少し冷え込んだようだ。
 とうとうこの辺りでも「初霜」が降りたのだ。起きて外を眺めたら近所の田んぼが真っ白になっていた。

 その朝の冷え込みに、手袋を用意したほどだ。
 駅に向かうまでの僅かな間だが、12月から手袋を使うという事は無かったように思う。

 街路樹の銀杏の葉が北風に飛ばされ始めた。街中にも本格的な冬がやってきたようだ。

 初霜が降りて数日、今日は「霜柱」を見つけた。
 田の土の中で、朝日を浴びて白く輝いていた。
 
 暫くぶりで霜柱を見た気がした。

 霜柱を最後に見たのはいったいいつの事だったろう。はるかな昔、確か、高校生の頃ではなかったろうか。
 いや、・・・今ではよく思い出せない。


 あんまり、美しかったので家に戻ってコンパクトカメラを取って来て、急いで撮影した。

 なんとも美しいものだ。
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2008年7月30日(水)
大暑  ♪ドンッと鳴った花火だ、・・・
 子供撮影;遠くでぶれているのがスターマイン   子供が撮った花火(ピントやブレはご愛嬌)
 随分と反省の無い日々を過ごしていた。

 放っておいた訳でもなく、いつも気にはしていた訳だが、なんとなく書きそびれてしまった。
 前回が3月だから、もう4ヶ月が過ぎてしまっている。まことに迂闊であった。


 30日の夕方、乾いた音が連続して響いた。大宮競輪の開催を告げるのと同じ、ポン花火の音だ。
 平日であるが、今日は大和田(おおわだ)公園から打ち上げられる「大宮の花火大会」であった。


 私の住む「さいたま市」は、与野・浦和・大宮の3市、後に節句飾りの人形で有名な岩槻(いわつき)を加えて、合併した政令
 指定都市で、合併後は旧市の地域をベースに10の行政区に分かれている。

 大宮区、浦和区、岩槻区はあるが、与野駅・北与野駅・与野本町駅・南与野駅と4個もJRの駅があるにも係わらず「与野区」
 は存在しない。与野の人たちは、そのあたりにあまり拘りがないのだ。

 どの県も同じように、県庁所在地と同じような規模である中核の都市とは、仲が悪いようだ。
 県庁を置いた際の遠い昔の経緯にもよるのだろうが、たとえば、故郷の「前橋」は「高崎」とはすこぶる仲が悪い。
 犬猿の仲と言ってもいいだろう。
 関東では高崎の方(上越線や信越線、上信銑鉄線などの鉄道駅として)が有名だし規模も少し大きいが、一応、群馬県の
 県庁は前橋に置かれている。前橋藩のほうが数段大きかったにも関わらず「鉄道」という近代化で水をあけられた事に対して
 怨嗟の思いが根強いからだ。
 お互いに競い合い張り合っているところは、「浦和」と「大宮」の関係も似ていて、埼玉も群馬と同じだ。そんな状況なの
 に、埼玉ではそれらが合併してしまったのだ。区こそ違うが「市」としてはひとつなのだ。

 旧市の対立を引きずって、お互いに一歩も譲らない。議会が事あるごとに揉めている事が伝わる。
 大宮で準備が進む「盆栽」会館の設置などもその代表的な例だ。
 大宮には通称、<盆栽村>という味のある場所が残っていて、「BONNSAI」という世界に冠たる文化を発信して、地域の
 経済・文化を盛り上げようという取り組みだが、浦和側から反対され続けているのだ。

 話は飛ぶが、「さいたま市」にはJリーグのチームが2つある。
 人気の強豪チームの「浦和レッズ」とちょっと肩を並べるには難がある「大宮アルティージャ」がそれだ。

 浦和の町で、「ウィー・アー ・・・」と問い掛けると、「レッズ!」と必ず答えが返ってくる。町全体がそんな具合なのだ。
 サポータの気質は多分Jリーグでトップのものであろう。
 We are REDs! 熱狂的にチームを支えるすべての市民が12番目の選手なのだ。
 大宮ではこうは行かない。浦和に比べると、ずっと冷静だ。そして、我が与野のポジションといえば、買い物は大宮で、
 サッカーの応援はもっぱらREDsだ。
 あまりこだわりは無いのだが、申し訳無いが「アルティージャ」にはもう一つ思い入れが薄い。


 三市に跨って流れる荒川。川も大きいが河川敷(2008,03,09 「秋ヶ瀬への自転車散歩」)も途轍もない。その広大な河川敷
 にある荒川総合運動公園のグランドを中心に、大きな花火大会が毎年開かれた。
 私が埼玉に住んで以来続いていて、会場の大久保浄水場の辺りの土手は毎年人で埋まる規模だった。15000発が夜空を
 飾り、<2尺玉>が豪勢に8発!も揚がった大きな大会だ。

 首都圏有数の規模の大会であり、政令指定都市になって規模が大きくなるってイイな、と納得したものだ。
 しかし、「三市合同花火大会」、後に「さいたま市花火大会」と続いたが、’07から行われていない。

 浦和では「浦和競馬場花火大会」だし、大宮は「大和田公園の花火大会」だ。で、与野は・・・、無い。

 張り合うのは結構だし、議会で反目してもいいのだが、この花火大会などが身近なよい例だろう。元々は「規模の経済」を考
 えて合併したのではなかったのか。

 開かれなくなった大きな大会。
 それぞれの地域で持つ大きなサッカースタジアム。 いや、これは完全に民間施設で無関係だった。地域対立をそのまま
 具現化したような、紛糾する文化施設の設置案などなど・・・。

 「与野」的な視点に立って振り返ると、本当に合併が良かったのか?と思う。
 和やかな雰囲気の与野市役所や住民に親しんでいた各地の公民館の姿勢や対応など、与野の住民サービスは非常に
 充実していて、しかも応対がいつも住民寄りであり、一体感があった。

 今の「中央」区役所や館員が入れ替わってしまった各地区の公民館の対応などは、なんだか大宮市役所でいつも感じて
 いたような、だから多分浦和市役所でも同じであったろうと思うが、非常に官僚的な雰囲気がある。役場自体は市民のため
 に存在し、役人自身もみな同じ住民であるのに、そのポジションが欠落している。
 住民とは一線を引いているようで、お役所仕事です、といったよそよそしさが溢れているのだ。


 さて、話は戻って、すぐ近所のショッピング・モールの屋上駐車場から見た「大和田の花火」だ。風も無く、遮る物も無い
 晴れた空に、くっきりと非常に良く見えた。

 家人が用意してくれたイカ焼きや枝豆、モールで買った飲み物で、夏の夜空に煌く花火を楽しんだ。遠目に望むその花火は
 美しかったが、なんだか迫力が無く、花火大会としての楽しさは少ないものだ。

 一度大きく膨らませたのに、また元の木阿弥となった大会は、いまひとつ盛り上がりに欠けるものだった。


  子供が撮った花火(ピントやブレはご愛嬌)
  子供撮影;尺玉だと思う   子供撮影;こちらも大玉

  子供は今、月や稲妻の写真など「暗闇に光るものの撮影」に夢中で、いろいろと挑戦中だ。
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2008年3月26日(水)
春分
 20日は春分だった。

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、今も暖かな晩で、本当に春たけなわだ。

 降る雨が温かく、寒さが遠のいたことが納得される。雨水の頃まではゆっくりとした歩みだが、啓蟄を過ぎると、春はすこぶる
 急ぎ足で通り過ぎようとする。

 いや、ちょっと待って、などと言ってもままならず、置いてけぼりを食らわされてしまうので、こちらも真剣になる。
 
 加速する春に、負けてはいられない。

 月曜日の朝、通勤途中(家からすぐ近くの公園)にいつも横切る公園の桜を見たが、枝にあったのは硬い蕾みだ。
 この分だと来週かな、と思っていた。雨が降っていたので公園の中を横切らずに柵の外を歩いたが、それでもきちんと観察し
 たのだ。

 すると、どうだろう。今朝公園に近づくと、なんだか随分賑やかな様子なのだ。いつもの染井吉野の大きな木が、すべての枝
 に沢山の花を着けているではないか。
 一瞬で咲いたとしか思えない変わりようであった。もう、半分ほども咲いている。

 桜の開花宣言がこの前出たばかり、と安心していたら、もう盛んに咲いている。この分では、週末には満開かもしれない。

 何が、負けてはいられない、だ。完敗ではないですか・・・。
 −いや。 人生、勝ち負けじゃ、無いよね。―

 王子の「音無親水公園」や「飛鳥山」が呼んでいる。
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2008年2月7日(木)
立春
  道脇の雪だるま  
 早くも立春だ。(4日、月曜日)

 年の瀬もそうだったが、元旦からしばらくは暖かく、今年はこのまま冬が過ぎるか、と思っていた。

 ところが「大寒」になってから急に、例年並みの冷え込みがやってきた。立春を目前にした「節分」の日、今年、2度目の積雪
 があった。

 前回、「こんな年はしばらく厳しい寒さが続き、2月くらいにどかっと里雪が降り積もる」と書いたが、まさにその通りの寒い日
 となったのだ。だから油断はできない。

 「節分」の時期に春めく年もあるが、大抵は「寒の戻り」でぐっと寒くなり、そして、この時期に油断して、風邪にやられる。

 体力は勿論、気力も最近は弱まっているせいもあり、一度掛かると風邪の直りが悪い。

 月曜の夜、お風呂から出た後、急に寒気がした。あれっと思っていると、立て続けにくしゃみがでた。
 早めに布団に包まったが、もういけない。風邪だ。夜中に腕の間接が痛んで目が覚めるが、幸いに熱は無いようだ。

 日曜の積雪でも浮かれる事無く、終日、家に居て暖かくしていたのだ。いつ、病んだものか。

 12月の風邪では1ヶ月近く、せきが止まらずに閉口したが、今度はどうだろうか。
 週末までに回復すると良いのだが・・・。
   2日土曜日の霧敷川(工事に負けるな、カワセミさん)
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2008年1月23日(水)
大寒
 雪に咲く ホトケノザ
 ここ数日、寒い日(2008.01.20 「冬茶を味わう」)が続く。
 季節は「大寒」であり、一年で一番寒い時期の<寒中>の只中なので、当然であるが・・・。


 この冬は、比較的に暖かな日が続いて年が明けたが、松の内を過ぎて急に寒くなった。

 こんな年はしばらく厳しい寒さが続き、2月くらいにどかっと里雪が降り積もる。さて、今年はどうだろうか?

 早くも、早春の花であるホトケノザが田の畦で咲いているのを先日見つけたが、この雪でどうなったかが気になってコンパクト
 カメラを持ち出してみた。そうして写したのが、上の写真だ。

 数年前まで、家のすぐ横手に小さな梅林があったが、今はアパートとチェーンのリカーショップの駐車場になっている。
 そこでは、2月位にある降雪で、花弁に薄っすらと雪が積もった美しい梅の花を撮る事が出来たのだ。


 今は無くなってしまったその林があれば、きっと趣ある写真が撮れたに違いなく、少し残念だ。この寒さはもう少し続きそう
 だ。だとすれば、タイミングよく休日に柔らかく降ってくれるといいのだが・・・。

 秩父の宝登山(ほとさん)で蝋梅に積もる雪や、その近くの両神(りょうがみ)で自生する節分草が薄っすらと雪を纏っていたり
 花弁が透けた様子などを写したい、と雪を見ると思うのだ。

 スキー場から遠ざかって何年も経つので、寒さへの耐性自体が無く、思い描く雪景色の中にそもそも行き着けそうに無い。


 だから、積もろうとする雪が解けていく静かな川面を見つめる。

 ぼんやりと思いを馳せた雪景色の中に、楽しむ自分を置いてみるのだ。
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2008年1月1日(火)
来る年に
 
 さいたま新都心のイルミネーション

 与野本町の冬の薔薇

 もう一日で年が変わる。
 街はすっかりカウントダウンの様子だ。
 
 思い返せば、今年の熱暑はすさまじかった。体力の消耗との戦いだったように思う。年ごとに体力が低下しているのに、
 環境は苛酷になっていく。気象、経済、職場、私の周りの取り巻く環境は、次第にその苛酷さを増してく。

 もっと、身近なところで考えると、まず散歩でなじみの霧敷川だ。ひどいことになっている。「川幅面拡張工事」が完了した
 後の姿を余り想像したくは無いほど、無茶苦茶になっている。さらに追い討ちを掛けるのが、「富士見橋」架け替え工事だ。
 私が「カワセミ」をみた(2008.03.31 「霧敷川の桜」)場所のすぐ近くだ。
 このままでは、流域の、いつも写真で撮っている桜の下の菜の花が全滅してしまう。

 (01.20 追記;とうとう霧敷川にいる「カワセミ」(2008.03.20 「冬茶を味わう」)の撮影に成功した)

 もう一つ、苛酷さを増してく場所がある。最も身近な所では「家庭」だろうか。
 高収入で趣味の物の購入などが自由になる身分であれば問題ないが、庶民家庭を絵に描いたような状態であるから、
 勢い、私の消費はダイレクトに家計に響く。

 何気なく片付けておく「プチプチ」シートを子供が目ざとく発見する。
 「プチプチ」シートは大切な精密機材や陶器や工芸的な木製品などの包装に利用するものだが、その存在はイコール
 <何かを買った証>なのだ。

 中古レンズ、新品レンズ、カメラボディ、などのカメラ関係
 茶壷、茶杯、茶道具、日本酒の杯などの趣味関係、の気合の入った品物が包まれていたものだ。
 
 これらの買い物は、給料とは別口の私の趣味口座からの支払いなので、家計からの支出ではないのだが、消費している
 ことには変わりない。
 (多分、家人からすれば、買い込んでいるものの多くは無駄に見えていることだろう・・・)

 発見された際の、あの重い空気。
 なんとか、少し、和らげるための妙案はないものだろうか。

 もうじき年が明けるが、今年は、欲しいものはもう無かろう。

 気になっていたサラウンドシステム、気がついてしまった高機能デジタルコンパクト
 微妙なところを埋めるレンズも、何本か買った。
 年末に近く、新しいカメラボディも買ったし、素敵なレンズも買ったから、当分は欲しいものは無い。
 いや、無いだろう、と思う。
 
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2007年12月30日(日)
行く年に
 今日は30日。
 あと一日で、今年も終わりだ。

 長く気にしていた<溢れかえるカメラ機材の整理>。まずはHP上で纏めてみようと考えていたが、やっと一通りの
 筋道立てた整理ができ、UPする事ができた。

 本当は、物理的に機材そのものを整理したいのだが、それが出来ない。古いものや使わないものであっても、やっぱり、
 それぞれに愛着があるのだ。
 処分するといっても、基本的に考えているのは「売却」なのだから、それほど躊躇しなくても良いのだろうと思う。
 捨ててしまっては元も子もないが、対価は手元に残るのだ。

 でも、イザ、となると決心が着かないのだ。

 こうした部分が、私のいやなところで、決断力が無いし優柔不断で仕方が無い。

 以前、「物が溢れる」(2006年の反省)で書いたが、こうしたこだわりがフットワークの悪さになって、何かしようとする時の
 思い切りにも影響する。
 
 長年、放置してきた性格なので、すぐにはどうにも出来ないだろう。
 でも、来年こそは、この弱点をものの見事に克服して、身軽く動きたい、と思うのだ。


 ずっと過去の資産を引きずっていたら、新しい表現なんて獲得できないではないか。
 
 いや、待て、もう少し冷静に考えなくては・・・。
 過去とはいえ、埋もれさせているのであれば、それは過去とは呼べないだろう。それらは、単に「通り過ぎてきた道」に過ぎ
 ないではないか。

 ならば、いっそ、埋もれたものを掘り起こして、そこに光を当てて、もう一度アプローチしてみればよいではないか。
 新しい可能性は、なにも新しいものからしか生まれない、というわけではないのだから。

 やはり、古い機材を新しい解釈で利用し直してみよう。そして、そこから新たな可能性を引き出すのだ。
 
 すべて一時代を築いてきたものだ。(社会的な部分もあり、私の中での画期もあるが・・)それらの機材はみな、進んだ
 時代分に負けない力を秘めているに違いないのだから。

 そしてまた、私は、自分を変えられない。結局、いつもどおりに<物>に縛られていくのだ。
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