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2013.10.17
旅にしあれば・・・、ふたたび (台湾 第3日目 午後; 士林・永康街 「旨いもの、見つけた」) |
旅程;2013年10月15日より 3泊4日間
旅の第三日目;
歩行数と距離; 22,091歩 14.3Km
滞在地;
圓山站;孔子廟 ― 台北車站 - 士林站;士林官邸 ― 台大醫院站;台大病院 ;遼寧街夜市 宿泊:国王大飯店
カメラ;
RICOH CAPLIO GX100 (画像添付時に約20%に圧縮)
PENTAX K7
レンズ;
PENTAX FA20−35mm F4.0 AL
PENTAX DA50−200mm F4.0 ED
PENTAX FA50mm F2.8 マクロ
3日目の午後は、淡水線にのって、士林へと向かった。
この街は、大きな「夜市」が開かれることで有名な場所だ。その内容はどちらかと言うと若者向けの傾向が強い様に感じられる。地元の人たちの生活に密着した、と言うよりも観光客を狙った大規模な夜市といった方向が強いように思われるものだった。
前回、「士林夜市」へ来た時は、ティーン・エイジャーがグループを作って駅から続々と夜市へ向かって行列を作り、そんな輪の中ではデートに来てテンションが上がっている、大声ではしゃぐ少年達も多かった。
いくつか行った夜市では、そのエリア内だけが混雑していたのだが、この街ではもう全体、駅からの長い道のりのすべてが混みあう、という状態に驚かされたものだった。
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士林の駅前の路地
(士林官邸へ向かう)
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ところでMRT淡水線の「士林站」は、夜市へのアクセスの基点(夜市へ近いのは、一駅手前の「劍潭」站)となるだけでなく、中華の至宝が展示されている「故宮博物院」へのアクセス拠点でもあった。
士林站は台北車站からもごく近いし、市街中心部からタクシーに乗ったとしても金額はそれ程にはならない。台北のタクシー料金が驚くほどに安いからだ。
或いは、慣れないと難しいだろうが、台北の中心部の大路からここまでの道のりで「路線バス」を乗り継ぐという軽めの冒険も出来る。
いずれにしても、そろそろここから山稜が始まるという郊外の地域である。台北市街から見れば同じく郊外となる「淡水」の街並みがあるが、そこは私のお気に入りの場所と言えた。
河口に開けた大好きな淡水の街並みとこことでは、その印象がまた一味違っていると思う。ふたつの街の状況は随分違っているのだが、士林の街を訪れてみれば、きっとここも淡水の街と同じように落ち着ける場所となろう。
都会然としていない穏やかな色彩を持つ士林の街並みに触れれば、圧倒的な都市である台北の持つ緊張感からも解き放たれて、存分に寛ぐことができるだろう。
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士林站前の広場を眺めつつ、駅前の通りを北東へ向かう。
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車道と歩道との間は、スクーターのための駐車場所になっている。
これは、台北の市街地で一般的に観られる典型的な形式といえよう。
歩道は日本とは大いに違っている。歩道上に樹木や標識や電柱などの障害物が一切無いのだ。
それに大路に面した歩道脇には他にも特徴があった。建物の軒下部分が開放されていて、そこが歩道の半分ほどの幅を持つアーケードになっている。
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中山北路の様子がこちら。
車線の間に並木となった帯部分があるが、そのグリーンベルト(木立)で遮られた端(外側)の車線が低速車用であるようだ。さらにその車線と歩道との間にも木立の帯が続いている。
タクシーや商用車、スクーターなどが、その歩道横の外側にある車線帯を走っていた。
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3日目;歩行距離 22,091歩 14.3Km
< 士林(シーリン)へ向かう >
「士林站」は郊外然とした駅だった印象が深く残っていた。さらに郊外へと向かうバスのロータリーが、確か駅の西側にあったように覚えている。その前には洒落た教会が建っていたはずだ。
士林から丘を登った先にある「故宮博物院」へ向かうバスの発車時刻を待つ間に、その印象深い教会をスケッチした記憶が残っていた。故宮へ向かう路線バスが今日もロータリーに居るはずだったけれど、ちょっとこの街で寄り道する事にした。「士林官邸」の文字を、駅舎内の掲示板で見たからだった。
駅の改札を抜けて東側へ出てみると、駅前には感じのよいミニ公園があった。その駅前公園の横の道は一方通行になっていた。なにやら都内の、私鉄沿線の小さな駅から続く駅前通りに様子が似ていて、何とも郷愁を誘う一時代前の雰囲気がその通りには漂っていた。
見渡してみれば、士林の街も再開発がどんどん進んでいる様だった。駅の周りは工事中の建物ばかりなのだが、その一方通行の通りに面して建並んでいる建屋は、大分古そうな様子だった。
一方通行の通りには、喫茶店や飲食店やアクセサリー店などが並んでいて味わいがあったが、静かな雰囲気に浸れたのも束の間、その通りを暫く歩いていたら、ふいに抜けて一際大きな通りに出た。その大通りは、片側4車線の大路であり、市街中心部へ伸びる「中山北路」と名付けられた主要道であった。
そこには駅前一帯の静けさとは無縁の様子が広がっていて、猛スピードで車やスクーターが行き交っていた。郊外だと言うのに交通量は台北市街中心部のように多くて、静かな道が続くことを期待していただけにすっかり面食らってしまった。しかし、道の両脇は街路樹が植えられた広い歩道になっていて、激しい車通りであっても安心してのんびりと歩くことが出来た。
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官邸跡地は、一般に開放されている。
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< 士林(シーリン)官邸へ立ち寄る ;「台北官邸」跡 >
交通量は多いのだが、東北方向に連なる「大屯火山群」の山並みがすぐそこまで迫って来ているためか、心なしか清々しい空気が流れていた。
それに市街地並みの交通量がある大通りだとはいえ、市街地とは道路の景色や様相が大分違っていた。大通りに面して道の両脇を10階建て程度のビルが林立して、道を取り囲んでいるわけではなかった。道の西側(駅からみれば東側)の街並みは、高いものでもせいぜいで4・5階程度の低層の建物ばかりであった。ただし、道に面した東側では、大きなマンションの建設が何棟分も進められている最中だ。それらが出来上がればここも他所と変わらない様子になってしまうのだろうと思われた。
だから歩道から見上げると、街の景色が随分と伸び伸びしていた。明るく開放的な景色がそこにあったからだ。街路に立っていてさえなお、明るく広がって続く青い空と、遠方の山並みとを見晴るかす事が出来たのだった。
暫く、大通りに沿って北方へと歩いていくと、やがて芝生がきちんと刈り込まれて整備された大きな公園が右手に現れた。
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総統夫人の専用車
最初は蒋介石総統の公用車と思った。
近くまで行ってみたら案内版があった。
総統夫人「宋美齢(そう びれい)」の愛用車であったらしい。
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どうやら、官邸はこの公園の裏手にあるようだった。
公園から続いて入り口の門があり、大きな駐車場があった。そして門の内側には記念館が建っていた。時間のない人が入口周辺だけの来訪で済ませる事ができるように、という便利な工夫なのだろう。いかにも合理的なものを好む、台湾らしい在り様だと思う。
人々の興味を惹いているので私も行ってみたが、それは様々な記念グッズ ―来館のお土産や総統を顕彰した小物など― が並んだ売店だった。声高に話す団体さん達で店内はごった返していたので、ろくに展示された内容を確認せずに店を出てしまった。
ところでその一画だが、建屋の横にあるオープン・テラスではちょっとした軽食やコーヒーが楽しめるようだ。
門の内側とはいえ、まだ官邸の敷地とは思えないような場所である。最初は何でもない場所なのだろうと思ったが、そこには「蒋介石(しょう かいせき)」(初代)総統が使っていたと思われる公用車が展示されていた。近寄って確認してみると、それは総統夫人「宋美齢(そう びれい)」の専用車であった。
婦人が愛したと言うバラ園へと続く場所で、官邸であったころのそこはガレージと管理棟の跡地なのだろう、と思われた。そんな只の車(キャデラック)の展示にさえ、多くの人が集まっていて、入り口直ぐの一角から早くも団体客で賑わっていた。
混みあった様子を目の当りにして、官邸の中心部に近づいたらいったいどういう状況に陥ってしまうのだろう、と少し心配になってきた。
今の時点で明確なのは、この官邸跡はどうやら主要な観光コースの見物ポイントに組み込まれているようだ、という事だ。次々に大型のバスが広い駐車場へと入ってきて、多くの喧しい人々を吐き出している。見学者に対するキャパシティは大丈夫なのだろうか、と思わず不安に思うほどの人数が敷地の奥へと向かっていった。
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< 士林官邸(スーリン グアンディー) の様子 >
「士林官邸」は、初代台湾総統の「蒋介石(しょう かいせき)」とその妻「宋美齢(そう びれい)」の故居であり、蒋介石総統が亡くなるまでの26年間に渡って住み暮らしていた居住区なのだという。
しかしそこは、元はといえば日本統治時代に園芸試験場として建てられた施設であった。もともと自然が溢れる環境であり、様々な園芸種が栽培される植物園や試験農場があった場所であった。敷地に残る植物園やバラ園、ビニール・ハウス風の大きな温室などにその頃の面影が感じられた。
大陸からの団体客はどんな場面にあっても特に騒々しい人々なのだが、ここもその例に漏れない状況であった。そしてさらに大陸だけでなく、台南・台中からの観光客も多いのだという。学生達の修学旅行や行事旅行の集団も多いのだそうで、まるで体育祭のスタジアム入場での隊列を思わせる。行進する様な集団の塊が、来場者の多数を占めていた。
「生態園」と彫られた大きな石が置かれた一廓があった。亀やカブトムシの大きな像が入り口脇に置かれている。亀は石を刻んで造った可愛らしくデフォルメされていたが、カブトの方は実にリアルな物件で、見事なディティールを備えていた。今にも這い出しそうなほどの迫力に満ちている。
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園内に巡らされた塀。
奥に見えるグレーの建物が官邸である。
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実際にこうした大きさの昆虫がいたら、きっと間違いなく、恐怖の対象となろう。私などがそれに出会ったならば、直ぐにパニックを起しそうに思われた。ある種のスケール・モデルと言ってもよいかも知れないが、昆虫、特に甲殻類をリアルに拡大してしまうとこういった不気味な状況に陥ってしまうのだろう。
例えば、今や方々に居て人気を呼んでいる「ゆるキャラ」は、近くで見るとびっくりするほどに大きいのだが、あのスケール感のままでゆるくなかったとしたら、一体どうなのだろう。
彼らが薄ぼんやりとした姿でなく、きっちりと精密なディティールを備えたモノであったなら、子供はいうに及ばず、近寄る大人もまず居ないだろう。そんな愉快な想像をしてしまうほどに、どうやら銅製と思われるカブトムシは見事な出来栄えを持っていたのだった。
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庭園エリアに建っていた涼亭。
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生態園の様子。
巡らされた木道には、所々に観察対象に関する説明板が設置されていた。
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生態園の池。
この辺りの自然環境を再現したものなのだろう。
高層湿原の「木道」しか、私には経験がないが、こうした亜熱帯性の茂みにある木道も感じが良いものだった。
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観察園は池を中心にして木々が周りを取り巻き、遊歩道である木道が巡らされた自然観察エリアとして設けられていた。
池の周りは、自然環境を模した多くの緑に溢れていて、季節になれば昆虫や蝶々の姿を観察できるらしい。始めはビオトープの様に環境を再現したものと思われたが、ことによるとありのままの自然を残して、観察が出来るように巧みに整備したのかもしれない。
木道は場所によっては広いエリアとなっていて、そうした場所になると、柵のところに観察対象を説明した学習用の説明板が掲示されていた。
そうした掲示物は、景観を損なう事も無く実に配慮されたものだった。例えば、私の住む近くを流れる鴨川は自然に恵まれた好環境を持っているのでいくつかの観察エリアが設けられている。でもそこでは、景色を遮ってA全版2枚組み程度の大きな説明板が幾つか立ち並んでいる。だからこことは大分様子が違っていた。いかにも予算を割いて観察エリアを整備しています、という姿勢に溢れ、自然に対立してしまって景観自体を損なっているように思われる仕上がりなのだ。
「杜甫」や「李白」の頃から山水(自然の景観)を愛で、「山紫水明」を謳いつつ、様々な亭園としてその姿を模してきた民族の歴史が背骨にあるからだろうか。観察を妨げない説明板の配置や見学路の設定などは巧みに自然に溶け込んでいる。景観を妨げない多くの配慮がなされている。そうした様々な要素が、ここが良い観察園だと感じられる好印象に大きく一役買っていた様に思う。<教育>を社会の柱としている台湾らしい工夫の代物、と思われた。
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亜熱帯性の
植物園エリア
(生態園内の一廓)
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木道を一回りしてみた。途中から、植物名のタグがつけられた学習用のエリアになって、台湾に自生する亜熱帯性の植物が様々に集められて、手軽に観察することが出来た。
その一帯を抜けた先は、幾つかに様子が分かれた、大きな広場であった。目の前の部分は庭園風になっているので、ちょっとした散策気分が愉しめた。
帰国後に調べてみたら、その広場の一郭は結婚写真を撮るための名所であり、絶好の撮影スポットなのだという。通路脇には椰子の木が聳え、道の端の植栽には美しく低木が並んでいた。
芝生が植えられた広場の中央には中国風の「涼亭」が造られていた。「涼亭」は湖畔にあるボートハウスの様な役割を持っていて、暑さを凌ぐための憩いの場所だ。私は人混みを避けて植栽の脇に寄って位置を取り、その六角堂をスケッチする事にした。
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生態園前の西洋庭園。
先に見える煉瓦造りの建物は、総統官邸内にある専用の礼拝堂。
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この一郭は中国風の庭や西洋庭園として整備されていて、小川を模した流れなどがあった。本来であれば、心和む散歩がのんびりと愉しめるはずなのだが、残念ながら混雑が激しくてそうはいかなかった。週末に近い木曜日のためだろうか、この場所も多くの人達で溢れていたからだ。
時に、不意に人波が途切れる頃合があった。団体客の来園の狭間なのだろう。そうした僅かな幸せ溢れる絶妙なタイミングが不意に訪れると、時間が停止したように、本来の静かな世界に戻ってくれる。ほんの一瞬のプレゼントであったが、不意にもたらされたそうした束の間、のびのびと寛ぐ事が出来た。
様々に思い巡らせると、出来ればこの場所へは午前中に来たほうが良さそうに思われた。
午前中に園内を回って10時過ぎに官邸内部を見学し、11時過ぎには見学を切り上げて、入り口脇にあるバラ園横のレストランへ入ってランチ(観光名所なのに安価で、セットで250NT)を早めに採る、というのが妥当な作戦のようだ。そうすればその後で園内を巡っても入口近くに戻ってこられるだろう。先ほどそこで見掛けたテラス席に寛いで、のんびりとアフタヌーン・ティーが楽しるのではなかろうか。私は次回の再訪の時のため、その作戦を覚えておこうと思った。
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官邸横の遊歩道
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西洋庭園の入り口に咲いていた美しい花。
立ち並ぶ不思議な様子の樹木も見事だったが、その遊歩道の反対に並ぶ椰子の並木も美しかった。
並んだ椰子の樹の間には、藤棚のような棚があり、そこにこの花が咲いていた。
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入り口から続く細い通路の先にはゲートがあった。それが2011年1月から解放された士林官邸「正館」への入り口だった。
そこで入館料の100NTを払えば、官邸本館の内部を見学できるのだという。
混雑を避けて見学できるように入館者数が制限管理されていて、入り口に人溜まりができていた。邸内に入るのを諦めてしまったが、内部の装飾や家具などは見事な品物であるらしい。内部の様子が知りたくてWeb上で検索をしてみた。丁度見つかったTAIPEIナビの紹介ページを観て、その豪華さや流麗さに圧倒されてしまった。
何故、無理しても官邸内に入って見学しなかったのか、と正直に言えば今では酷く後悔していた。
邸内は撮影禁止とのことなので、見事な彫刻が施された家具や調度品などはスケッチで残すしかないが、優れた調度品の数々を実際に目の当りにしたら、その豪華さに息を呑み、部屋ごとの設えに低いため息をつき、家具の素晴らしさに唸る、といった具合になってしまった事だろう。
まさに驚きの連続だったことだろうが・・・。返す返すも残念な事をしてしまったものだ。
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礼拝堂「凱歌堂」
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この官邸のエリアから、さきほどの「生態園」へは、椰子の並木が添えられた遊歩道を使って戻る事が出来る。
戻ったその先には、レンガ造りの目立つ建屋が建っていた。「宋美齢(蒋介石総統)」夫人専用に造られた教会だ。入り口のドアが開放されていたので、そこから建物の内側を見ることができた。残念ながら、礼拝堂の内部への立ち入りは禁止されていたので遠目に眺めるだけだったが。
往時の邸宅への来賓者は国賓となる要人という事になるのだろうが、夫人の個人的な利用よりもむしろそうした来賓者が拝礼できるように、という意図があったのだろう。最初に礼拝堂を観て、それが「専用の礼拝堂」なのだという事を知った時は、大陸を退いてこの島へ移った蒋介石夫妻の在り方は凄く贅沢三昧な生活だったのだな、と反感交じりに思ったものだ。でも、来賓者への思いやりの表れとして施設を捉えて考えてみれば、こうしたゆとりある施設の存在にも納得がいった。
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礼拝堂の名は「凱歌堂」という。
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庭園に建っていた涼亭
先ほどの西洋庭園にあった建屋とはまた別のものになる。
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煉瓦の造りが素晴らしかったので、私はこの建物もスケッチして残す事にした。
建物の前は広いスペースになっていて、スケッチのために隅に陣取るには適当な場所と思われた。しかしその広い場所は、その広さゆえに団体客の整列に利用されているようで、ひっきりなしに多くの集団が整列を繰り返し始めた。
そうした小集団の集合や、大集団の整列や点呼、或いはグループを導いてきた案内者の声高な施設説明などが次々に繰り返されている。デッサンが途中だったのでその場所を動く事も出来ず、少しも落ち着かない。
やはり昼過ぎの午後という時間帯を選んでここに来てしまった事が悔やまれた。
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中国風の庭園を印象付ける建屋として、庭園内にあった雰囲気溢れる涼亭
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< 士林(シーリン)の街並み >
混雑していた「士林官邸」を後にして、また士林の町へと戻った。
駅に戻ると16時に近い時刻になっていた。随分と官邸内でゆっくり過ごしてしまったようだった。施設の後ろ側(入り口とは反対側)から抜けて、大樹に囲まれた静かな区画を歩いたし、その並木道を抜けた先の広い公園で散策のやり直しをした事も、思いのほかに時間が掛かった理由だろうか。
士林站方面へと戻る途中、横断歩道を渡った先で、不意に先の官邸内での圧倒的な団体客の様子が頭に浮かんで来た。故宮へ行ったとしても、ほぼ同じような状態であろう。きっとそこも先ほどの官邸で出遭った人々と同様な、声高な人達で混雑しているに違いあるまい、と思えてきた。
そこで結局の所、今回の旅行での目的のひとつではあったが、望んでいた故宮博物院の見学行は止めにしよう、と考えた。故宮へ行くのはまた別の機会にしようではないか、と・・・。
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風雪(台湾では降雪は無いが・・・)を刻む、建物の様子。
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官邸跡裏口の並木
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そして、できれば中華の至宝で満ちている「故宮博物院」へは朝から向かう事にしようではないか、と考えた。そうすれば、この官邸で出遭った人々程の波ほどに混雑が激しいものではなかろう。多少は展示エリア内も敷地内もゆったりと観られるに違いない、と思われた。
次の機会のために、改めて楽しみをとっておこう、と自分に言い聞かせたのだった。故宮に見切りを付けて、思い直して駅方面へと戻る途中で、更に南へと向かう事にした。
徐々に夜市のエリアに入りつつあったが、夜市へと向かった訳ではなかった。有名な観光夜市である「士林夜市」は、実は一駅分「台北」寄り(南側)にある「劍潭」站がアクセスの拠点だった。
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士林官邸を後に
士林站を通り越し、「劍潭」站方面へ向かう。
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士林の繁華街へ向かう。
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ここまで来れば、有名な夜市へ行くにはあとほんの少し歩けばよいだけなのだが、前回経験した芋を洗うような雑踏の様子が思い浮かんできてしまった。だから市場のエリアまで行くのは止めておくことにした。
士林の街並みには古い街区のアーケード街があるので、そこを歩くだけでも雰囲気は味わえるし、食べ物も愉しめるからだ。そこならば、混雑しているというほどの人混みはないし、更に嬉しい事には、そこには多くの店が軒を連ねているので、何を選ぶにしても多くの食べ物を眺めながらそぞろ歩きが出来るのだ。ちょうど「夕焼けだんだん」から谷中の商店街を歩く程度の混雑具合であり、「ゆったり」とは言えないまでも、少しは落ち着いた散策が楽しめよう。
小腹が減ったので、少し食べ歩きを楽しもうと思って、駅方面へは戻らずに、中山北路を「台湾電力」の支社のところまで歩いた。そこから広い通りを渡った先で分岐する「文林路」が始まるが、そこはもう士林の古い街区であり、アーケード街であった。
さらに入り組んだ路地が西側に迷路のように広がっている区域へと、旨いものを求めて向かうことにした。
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< 「生煎饅頭(ションジエン マントウ)」を試す 原上海生煎包(ユアン シャンハイ シェンジャンバオ)店 >
「大北路」から入った区画のひとつである「小東街」で、素晴らしい店に出会った。
その店の旧店舗は「大南路」にあるという。旧店舗もこの新店舗も、どちらも持ち帰り専用の店らしい。私が見つけたのは大北路から入った直ぐにある新店舗の方だった。道を歩いていたら、その店の前に20人ほどの列が出来ていたので目を曳かれた。何やら美味しい物に巡り逢えそうな予感がしたので、列の後尾に並んでみたのだった。
種類は二つで、「高麗」と「鮮肉」の煎包(包子)、それぞれ同額の12NT(約30円!!)と書かれていた。調理してあるのは、いったい幾らになるのだろう、と思った。でもなんと示されていたのは調理済みの値段で、これには流石に驚いた。
その物件は、新鮮な具材を肉まんの生地のような厚めの皮で包んで詰めて、強く焼き上げたものだった。
店の名を「原上海生煎包(ユアン シャンハイ シェンジャンバオ)」という。後日Web上で検索して調べてみたら、有名な人気店だった。店の名前からすると、発祥地(原)が上海である食べ物(生煎包)、という意味なのだろう。
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消防署前から中山北路を渡って、中心にある街区へ歩く。
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「高麗菜包」の方は高菜が詰まったものなのかと思ったが、たっぷりのキャベツと旨味溢れる椎茸が入っているものだった。そして「鮮肉包」の方の具材は豚肉であり、こちらは肉まんと同様のものと言えたが、ずっとジューシーな内容だった。
大きな平鍋で作られる特色ある食べものだ。平鍋と書いたが、それは厚手の鉄鍋であり、「鍋貼餃子」を焼き上げるのと同じ状態の大鍋であった。料理人がそれに取り付いて一心不乱に次々に焼き上げていく。
昨晩の寧夏街夜市で「○(虫偏に可の文字)仔煎(クァイクーシェン;牡蛎の卵とじお好み焼き)」が焼かれていたのと同じ直径60cmほどの大振りの調理器具だった。
2種類用意された両方の包子同士を合体させてみると、きっと故郷の前橋で馴染み深い「ホワイト餃子」の祖形が出来上がるのだろう。そうして思いめぐらせてみると「ホワイト餃子」のあの状態は、上海名物の「包子(パオズ)」のいいとこ取りをしたものと言ってもよいのだろう。どおりで旨いはずだ、と異国で出遭った料理に接して改めて納得がいった。
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折角並んで待ったので、それぞれ2個づつ買ってみた。これがもう大正解、大変な物件と出会ってしまった、と言わなければならない程の強いインパクトがあった。
油が強いのでちょっと癖があり、その辺りは好みが分かれて来ようが、出来立てのほやほやの熱々状態を食べた私にとっては両方共に旨さが炸裂した驚くべき品物であった。
今回の屋台物 ― 調理台を店頭の通りに上に出しているので屋台に見紛うが、この店は正確に言うと固定店舗であって屋台店ではない ― で食べた「旨いもの」の上位に並んでくる品物だ。
椎茸の旨味が効いたキャベツ包みである「高麗菜包」の、口に広がる汁の感じは堪らない味であった。一方の豚肉の包子もジューシーなもので、美味しい餃子をかじった時と同様のじゅわっと肉汁が溢れる。どちらも何ともいえない良い感じがあったし、双方共に後を引く味だった。
もし食べたのがこの旅の初日であったら、油が強くてキツいと感じたかも知れないが、台北での滞在も今日でもう3日目になる。だから台湾の屋台物の仕上げのされ方にも、充分に慣れて来ていた。
油を表現した文句に「多脂」という熟語がある。それは台湾での評価基準のひとつであった。屋台店での肉料理などはこの2文字を看板に掲げて、油分の多いことを誇って、客を集めている。
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「原上海生煎包」店の<鮮肉包>
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台湾の「地物(大陸の風ではなく、土地の食べ物)」はどれもあっさりとしている。例えば銀河夜市で人気の「福州胡椒餅」など福建省方面の大陸南部を発祥とする食べ物の多くは油(脂)分が多いようだ。「胡椒餅」だが、淡水の老街を抜けた場所には、列を作って人気を呼ぶ固定店舗があった。
私自身が掲げた「旅の教訓」のひとつでもあり、曽家涼麺の「女将さんの言い渡し」でもあって、そうした言葉を守って現地のものに馴染んだ身にとっては、この店の包子の油もさほど気にする程のものでは無かった。
旅の教訓は、2013.10.15 「旅にしあれば・・、ふたたび(台湾初日 淡水) 」 ― 嬉しい出会い に書いたし、「女将さんの言い渡し」の方は、2013.10.17 「旅にしあれば・・、ふたたび(台湾3日目昼 中山)」 ― 食を知れば・・ で書いていた。
正確を期すために、改めて調べてみると、「原上海生煎包」店の<高麗菜包>や<鮮肉包>は、調理品上での分類は「焼小籠包」の類に入るものらしい。
一般的に「生煎饅頭(ションジエン マントウ)」と呼ばれるものだ、という事だった。焼小籠包であれば、日本橋にテイクアウトもできる店「ファイヤードラゴン」があった。値段はひとつ当たりで台北値段の4倍ほどになるのだが、東京駅前の八重洲からもほど近くの日本橋にあって、手軽に買える店だ。この生煎包とどの程度に違うものなのか、今度試してみようと思った。
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「原上海生煎包」店の
<高麗菜包>
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< ふたたび、永康街へ >
MRTの「淡水線」で中山站方向へ戻っていたら、ふと思い立った事があった。
そのため、改めて台北市街南部にある大好きな街の「永康街(えいこうがい)」へと行ってみた。
そこにあるのが最初の台湾旅行から馴染みとなった「興華名茶」だ。有機栽培の良質なお茶を販売するその店に行って、烏龍茶(台湾茶)と茶器とを購入しようと思った。2日目の夕方に、かねてより再訪したいと願っていたその店に行って懸案の烏龍茶を購入したのだが、思い立って追加で茶葉をもう少し購入しようと考えたのだった。
一番好きな「阿里山烏龍茶」は高山茶で、栽培地は1200m級の山稜となる薫り高い茶葉だ。現地購入だから日本で買うよりずっと安価に入手が出来る。嗜好品だし、好きな茶葉ではあるが、ちょっと高価なので追加購入は控えるしかなかった。でも「凍頂烏龍茶」の方はもう少し欲しかったし、この際なので「高山金宣茶」も追加して買い置きたいと思っていた。
自分用のお愉しみのひとつ、癒しの品という事もあるが、ひとつにはそれらの美味しいお茶を親しい友人への土産物にするつもりでもあったのだ。
彼へ選んだ土産物は、不健康路線まっしぐらの「メビウス(煙草)」のカートンだったから、バランスをとるために健康志向の有機栽培のお茶を加えたかった。彼の子供達用には、ちょっと気の利いた携帯用の箸など台湾らしい小物を見つけていた。その親向けの土産物が、「はい、タバコ」だけで済ませたのでは、ちょっと芸が無かろう。
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興華名茶の所在地である「東門」站から「中山」站方面へと戻る。その途中、淡水線の「台北車站」手前にある「台大醫院」站でMRTを一旦降りて、駅の横にある「二二八和平祈念公園」へと寄ってみた。
そこは実に大きな都市公園で、東京でいえば日比谷公園のような位置付けに相当するだろう。
北投で知り合って私の水彩画の師匠となった方から「いい場所だから、台北へ行ったら是非寄ってみなさい」と勧められていた期待の場所だ。園内には大きなモニュメントや塔などの現代的なオブジェと共に、廟や神社で見かけるのと似た造りの壮麗な門や美しい八角堂など歴史的な佇まいの文化遺構的なものも置かれていた。
思いのほか永康街で過ごした時間が長かったようで、公園へは寄ってみたが、すでに夜になってしまっていた。
公園内の外縁遊歩道を少し歩いてみたが、園の奥へは入らずに、入り口からもほど近い場所に建っていたお堂(八角堂)だけをスケッチして、中山へと戻る事にした。
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二二八和平祈念公園
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< 「二二八和平公園(アーアーバー・ハアピンゴンユェン )」 台大醫院 站>
導師(北投温泉で出会った同好の士、スケッチ道具の手ほどきを受けた私にとっては師匠筋にあたる人)が勧めてくれた公園が「二二八和平祈念公園」だ。
ここの最寄駅は淡水線の「台大醫院」になるので、折角だから永康街からの帰り道に立ち寄ってみたのだった。台北車站から歩いても8分程度の距離にある場所だ。この辺りは官庁街といった雰囲気がある落ち着いた区画で、煉瓦造りが壮麗な「総統府」が横手にある、落ち着いた街区である。
士林で、煉瓦造りの教会をスケッチしていた時にも小雨がぱらついたが、傘をさすほどの降り具合ではなかった。亜熱帯で四季の明確でない台北にとって、今の季節は「雨季」に相当していて、出発前に確認した天気予報では連日の「雨振り」となっていた。しかし、台北市向けの現地の天気予測ではなく、奄美諸島に対する気象庁の天気予測で確認すると「ときどき雨」となっていたので、私はそれに掛けてみたのだった。
駅を降りて地上出口に出てみると、小糠雨が音も無く静かに降っていた。携帯傘もショルダーバックに用意していたが、帽子を被れば何とかなりそうな、そんな柔らかい降り方の雨だった。
もう、夕暮れて、夜になってしまったし、長くスケッチしている事も出来なさそうだった。園内は広く、街路灯が灯されていて安全のように思われたが、そうは思ってもここは外国であった。何か事故があってもいけないので、公園の入り口近くだけを歩いて見ることにした。
台北の治安は良くて夜中まで一人歩きをしていても大丈夫だし、ここは安全な都市公園でもあるので、何らかの心配は無用のものと思われた。だが、雨の中を、何も好んで街路ではない暗がりに入っていくこともあるまいと考えたのだった。
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二二八和平祈念公園
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ここは大戦直後の中華民国から台湾の独立闘争(大陸の政権から島の分離独立と自治を目指したもの)を記念し、その抗争での犠牲者を顕彰するための公園であった。
調べてみると公園には永い歴史のドラマがあった。1895年、日本統治時代の台湾で大規模な都市計画が行われて、その一環として「圓山公園」に次いで建設された2番目の大規模な都市公園が、この公園の発祥であった。完成は1908年(明治41年)であるから、公園として整備されてからすでに100年以上の歴史を持つ、由緒ある場所だった。
日本統治時代の台湾総督だった「明石二郎」の廟を示す鳥居が永く置かれていたことでも有名だし、園内北側には台湾で最も歴史のある「国立台湾博物館」も建っていた。ルネサンス様式の落ち着いた建物として有名なもので、すべてのガイドブックに掲載されている。しかし残念ながら外壁工事中で壁面を取り囲む養生がされていたので、今回は博物館へは回ってみなかった。
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駅の出口直ぐの場所には、中華風の大門があって、利用者はそれを通って公園へ入ることになる。
広場があって、その先に池を取り巻いて、大小の八角堂(中国風の「涼亭」;暑さを凌ぐための憩いの場所)が並んでいた。その内のひとつは柱に屋根を載せられた簡単な造りではなく、三重に聳えた、完全な鐘楼であった。
日の落ちた後でもあり、その大きな楼をスケッチする余裕が無く、小さな涼亭だけをスケッチすることにした。
明日の午前中ならまだ時間があろうから、改めてここへ来ればよかろう、と考えたためだった。
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85℃のケーキ
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ホテルへ戻ってから、にわかにお腹が減ってきて、今日の夕食の事を考えた。
前回楽しんだ、「遼寧街夜市(リャオニンジエ イエスー)」へ行ってみようと、かねてから計画していた。明日はもう日本へと戻るのだが、その前に地元色が強い夜市へ行って、調べておいた料理を試してみたかった。
そこで海鮮料理を食べるか、或いは四川料理の「麻辣鴨血」や「鶏肉飯」に挑戦してみるか。いずれにしても地元で好まれている料理を食べてみようと考えたのだった。しかし、結局のところ、どちらの料理も食べる事はなかった。ホテルから徒歩でその夜市へと向かったのだが、思っていたよりも随分とその場所は遠かった。
その一帯へと向かっている途中で、口寂しくなってコンビニ店に寄ってしまったのだ。しかも一軒目ではお菓子を買って歩きながらそれを食べてしまい、2軒目のコンビニを見つけて缶ビールを飲んでしまった。
結局、夜市へと辿りついた頃には、お腹はあまり減っておらず、敢えて重い食べ物を欲していない状況になっていた。2往復ほど、夜市の通りで適当な店を物色して歩いたのだが、いまひとつ触手が動かない。いっそ食べるのを止めてホテルへ戻ってゆっくりしようと、元来た道を戻ろうかと思った時だった。
夜市の通りを抜けた交差点で、お馴染みの店舗を見つけてしまった。「85度C」のコーヒー店だった。ショー・ケースを眺めていたら、ガトー・ショコラのケーキが何とも美味しそうで、堪らずに買ってしまった。折角なので、もうひとつ別のチョコ・ケーキもお願いして、持ち帰ってゆっくり、のんびりとふたつのチョコ・ケーキを楽しんだのだった。 |
85℃のケーキ
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